12月に行われるお祭りを紹介します。ぜひ見たことがない人はご覧あれ。その19
当日は多くの露天が皇大神宮周辺に立ち並び、「大々神楽奉奏」など古式ゆかしい行事も行なわれる。
お神迎え
毎年全国の神々が出雲大社に集合し、縁結びの相談を1ヶ月に渡って行なういわれがあり、近郷の神様がいったん皇大神宮に集まり出雲大社に出発すると伝えられている。その出発する11月1日に行われる。当日は多くの露天が皇大神宮周辺に立ち並び、「大々神楽奉奏」など古式ゆかしい行事も行なわれる。
11月1日の「お神送り」で出雲大社にお送りした神様は、12月1日に「お神迎え」でお迎えします。
由来や見所
お神迎えの歴史・由来
皇大神宮では、11月1日を「お神送り」、12月1日を「お神迎え」と呼び、古くから神様を送迎してきました。
旧暦の神無月に祭神を送迎するといった意味合いがあり、この神事にまつわる話として「近郷の神様は堀之内の皇大神宮にいったん集まってから出雲に出発される」とか、「縁結びの会議が1ヶ月間出雲で開催される」などと言い伝えられてきました。
このため、昔から良縁を願う善男善女の参拝でにぎわっています。
お神迎えの概要・見所
11月1日の「お神送り」で出雲大社にお送りした神様を、12月1日にお迎えします。
お神送りの日には「大々神楽奉奏」など古式ゆかしい行事が執り行われ、お神送り・お神迎えともに「露天市」が立ち並び、冬の生活用品を買い求める近郷近在の人や、良縁を願う参拝者で賑わいます。
出雲大社
出雲大社の創建については、日本神話などにその伝承が語られている。以下はその主なものである。
* 大国主神は国譲りに応じる条件として「我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、そこに隠れておりましょう」と述べ、これに従って出雲の「多芸志(たぎし)の浜」に「天之御舎(あめのみあらか)」を造った。(『古事記』)
* 高皇産霊尊は国譲りに応じた大己貴命に、「汝の住処となる「天日隅宮(あめのひすみのみや)」を、千尋もある縄を使い、柱を高く太く、板を厚く広くして造り、天穂日命に祀らせよう」と述べた。(『日本書紀』)
* 所造天下大神(=大国主神)の宮を奉る為、皇神らが集って宮を築いた。(『出雲国風土記』出雲郡杵築郷)
* 神魂命が「天日栖宮(あめのひすみのみや)」を高天原の宮の尺度をもって、所造天下大神の宮として造れ」と述べた。(『出雲国風土記』楯縫郡)
* 崇神天皇60年7月、天皇が「武日照命(『日本書紀』による。『古事記』では建比良鳥命(天穂日命の子)とされる)が天から持って来た神宝が出雲大社に納められているから、それを見たい」と言って献上を命じ、武諸隅(タケモロスミ)を遣わしたところ、飯入根(いいいりね)が、当時の当主で兄の出雲振根に無断で出雲の神宝を献上。出雲振根は飯入根を謀殺するが、朝廷に誅殺されている。(『日本書紀』)
* 垂仁天皇の皇子本牟智和気(ほむちわけ)は生まれながらに唖であった。占いによってそれは出雲の大神の祟りであることが分かり、曙立王と菟上王を連れて出雲に遣わして大神を拝ませると、本牟智和気はしゃべれるようになった。奏上をうけた天皇は大変喜び、菟上王を再び出雲に遣わして、「神宮」を造らせた。
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こんにちわ。
クエン酸と、テニス大好き少年です。プレーするのも、観戦するのも大好きです。
得意なのはフォアストロークです。アプローチから相手を追い込み、ボレーで決めるのが
基本的なスタイルです。苦手なのはバックです。弱点を隠し、なるべくフォアに回り込んで打つ癖で、弱点が余計に目立つようになりました。
これからも、弱点から逃げずにバックを克服していきます。
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