挙母祭り

挙母祭りは、挙母神社の例祭として寛永年間(1624年~1643年)の頃より行われ、古い記録に寛文4年(1664年)飾奉四輌(東町・本町・中町・神明町)獅子舞(南町)後にかさ鉾(西町・竹生町)とあり、この頃には今の原型となった飾り車が存在していたと考えられています。 寛延三年(1750年)には、挙母藩の命を受け南町が飾車をつくることとなり、安永7年(1784年)に北町(現・喜多町)が飾車を出し、併せて今の8町になりました。
この頃、各町が挙母神社にて8歳~12歳の子供たちによる歌舞伎狂言を二幕づつ奉納競演をした後に、挙母城(七州城:現・豊田市美術館)へ山車を引き入れ、藩主・家臣らが歌舞伎狂言を観覧しました。この様子は、明治初期に川上呉山によって描かれています。

その後、文化年間(1804年~1817年)に飾車の改造があいつぎ、藩主より倹約令が出され、山車を隔年で出すよう改められ、豊作の年は村中の請いにより山車を出すことを許されました。 祭りは、毎年陰暦の9月18日・19日に行われていましたが、明治維新後に大きく変化し、試楽・本楽の日も太陽暦の10月18日・19日になり、城中への山車の引き込みを取りやめ、各町内を引き廻すことになり、歌舞伎狂言も児童演芸の禁止令と共に消滅してしまいました。
現在では、会社勤めの氏子も増えて第3日曜の本楽祭と、その前日の土曜に試楽祭を開催するように変わり、多くの皆様に親しまれております。

見所

見どころとしては、まずは8輌の山車そのものです。

県有形民俗文化財に指定されていて、豪華な彫刻が施されています。

山車の側面は、水引幕と朱色の大幕で飾られています(大幕の色が違う山車もあります)。
この幕に施された刺しゅうも見事で、山車ごとに違いますから見ておきたいですね。

山車の巡行での見どころは、まずは挙母神社へ合図とともに一輌ずつ駆け込む曳き込みと、大楠前を勢いを付けて曲がって神社を後にする曳き出しの豪快さは見ものです。

また、最終日の山車巡行のクライマックスとしては、豊信本店前交差点にて行われる泣き別れも見ておきたいものです。

無事に終わったことを喜び、次年度の華車(巡行一番目の山車)の町への申し送り、そして来年もまた会いましょうと帰路の無事も願います。

町中の巡行では、紙吹雪が巻かれる中を進んで行く山車も、とても絵になる情景ですから、期間中はどこででも見どころがありますよ。

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takuji

こんにちわ。
クエン酸と、テニス大好き少年です。プレーするのも、観戦するのも大好きです。
得意なのはフォアストロークです。アプローチから相手を追い込み、ボレーで決めるのが
基本的なスタイルです。苦手なのはバックです。弱点を隠し、なるべくフォアに回り込んで打つ癖で、弱点が余計に目立つようになりました。
これからも、弱点から逃げずにバックを克服していきます。

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