強打者の証の1つが死球ですね。
インコースを攻められる回数も多く、死球になる確率も高くなりますね。
今回はプロ野球での歴代死球ナンバーワンを紹介したいと思います。
知っている方もいるかもしれませんね。

通算196死球

 NPBの通算死球記録の歴代トップといえば、清原和博の「196」ですね。。

西武1年目の1986年5月23日・日本ハム戦で金沢次男からプロ初死球を記録した清原は、巨人時代の2003年4月15日の広島戦で、8回の5打席目に林昌樹から通算166個目の死球を受け、歴代トップの竹之内雅史(西鉄→阪神)と肩を並べました。

それから9日後、4月24日のヤクルト戦。5-2とリードの7回二死一・三塁のチャンスに代打で登場した清原は、成本年秀から左手甲に通算167個目の死球を受け、ついに歴代単独トップに躍り出ました。

18年かけて球界の“死球王”になった清原は、「血やね、血。岸和田の血。当たっても向かっていく」と、日本一過激なだんじり祭りで知られる故郷・大阪府岸和田市を引き合いに出し、闘争心を強調しました。

出典:YouTube

記憶にも残る

巨人移籍後には、阪神・藪恵壱のたび重なる死球攻めにぶち切れ、「今度やったら、しばいたる」(1997年)、「今度来たら、顔ゆがめたる」(1998年)と怒りを爆発させたことも。

 また、2005年5月11日のオリックス戦では、山口和男の147キロ直球がヘルメットを直撃。もんどり打って倒れた清原が、むっくりと起き上がった直後、「謝れ!こっちに来て謝れ!」と鬼の形相で叫んだシーンを覚えているファンも多いことでしょう。

 さらにオリックス時代の2006年4月20日の日本ハム戦では、初回にダルビッシュ有から左手小指付け根部分に死球を受け、全治3週間のケガ。

 「次からは命をかけてマウンドに走り、相手を倒したい」と激高したが、現役引退後には「一番痛かったデッドボール」と回想している。


 死球がこれほどまでに多くなったのは、対戦する投手が執拗に内角を攻めつづけたのに対し、清原が避けなかった結果ともいわれる。現役生活の後半、ケガに悩まされたのは、その代償と言えなくもないでしょう。

 プロ入り直後から3年間打撃を指導した土井正博コーチは、「デッドボールの避け方を教えられなかった」ことを今でも悔やんでいるという。

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