はじめに

野球の大会と言えば、高校野球の甲子園大会が有名ですね。
高校野球の最高峰ですね。
しかし、社会人野球の大会もあります。
それが東京ドームで行われる【都市対抗野球】があります。
今回はそんな都市対抗野球の歴史を少しですが紹介したいと思います。

都市対抗野球

1927年(昭和2年)8月3日、第1回大会は神宮球場で12チームが出場して開かれました。
開催のアイデアを出したのは東京日日新聞(現毎日新聞)の記者、島崎新太郎。当時、野球は中等学校(現在の高校)、東京六大学野球が人気を集めていたが、プロ野球はまだ発足していませんでした。だからファンが、かつて中等学校や大学野球の花形だった選手のプレーをもう一度見たいと願っても不可能でした。
こうしたファンの要請に応えるため、島崎は米国の大リーグのように都市を基盤とした実業団野球の開催を思いつきました。東京日日新聞も、第1回早慶戦で早稲田大の主将を務め、島崎と同期だった橋戸頑鉄(本名・信)を客員に迎えて準備を重ね、開催にこぎ着けました。

出典:YouTube

優勝旗

画壇の巨匠と言われた小杉末醒(放庵)が、バビロンのレリーフにヒントを得てデザインした。金糸に縁取られた旗の中央に、獲物に向かって飛び掛かろうとするたくましい黒い獅子が描かれている。獅子は百獣の王、黒は強さ、勇壮さを表しています。
初代の黒獅子旗は第44回大会まで使用され、45回大会からは2代目、第70回大会から3代目となります。

優勝エンブレム

21世紀最初の都市対抗野球大会を記念して制定され、全国の頂点に立った選手たちに贈られます。
都市対抗を制覇したチームに限り1年間、ユニフォームの左袖にこのエンブレムを付けてプレーする権利が与えられ、翌年の大会が終了するまでその権利は続きます。従って、どこで試合をしても誰もがひと目で都市対抗チャンピオンであることを知ることができます。

白獅子旗など

白獅子旗は第6回大会(1932年=昭和7年)から準優勝チームに贈られるようになった。黄獅子旗は3位チームに贈られる。
第17回大会(1946年=昭和21年)から3位決定戦が行われるようになり、翌第18回大会から黄獅子旗がお目見えした。第39回大会からは準決勝で敗れた2チームに黄獅子旗が贈られるようになった。
また予選では第1次予選の優勝チームに紅獅子旗、第2次予選で本大会出場を決めた第一代表チームには青獅子旗が贈られている。出場チームには代表盾が贈られる。

補強選手

都市対抗出場チームが予選敗退チームから選手の応援を得てチームを強化する制度。
プロ野球が2リーグ制になった際、社会人野球から大量に選手の引き抜きが行われたため、1950年の第21回大会から採用されました。
当初は1次予選で5人、2次予選で5人の計10人補強できたが、78年の第49回大会から5人までに、2010年の81回大会からは3人までとなりました。
都市の代表として最強のチームを編成するのが狙いで発足しました。

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