東京メトロ東西線の各駅の歴史と名物(早稲田〜中野)
昭和41年(1966年)には営団地下鉄(現在の東京メトロ)東西線の駅が開業し、中野周辺は大正・昭和にかけて人口が急速に増加。
はじめに
今回も東京メトロ東西線の各駅の歴史や名物を紹介しますね。
今回が最後になりますね。
みなさんの家の最寄りの歴史を知ると、更に愛着がわくのではないでしょうか?
T04早稲田
早稲田周辺はもともと「早稲田村」と呼ばれる農村地帯でした。
明治15年に早稲田大学の前身である「東京専門学校」が創設されたことに伴い、文教地区へと発展。
学生向けの下宿や飲食店、不動産屋が徐々に増えていきました。
現在は早稲田大学の本部キャンパス・文学学術院キャンパス・喜久井町キャンパス・理工学術院キャンパスの4つが所在し、多くの学生で賑わっています。
T03高田馬場
高田馬場駅は、東京都新宿区に位置する高架駅です。商業施設はあまり見られませんが、大正製薬やエステーといった製薬会社の本社の他、早稲田大学をはじめとする多くの大学・専門学校・予備校が集まっています。そのため、この地域は学生街として賑わいを見せています。
手塚治虫さんの手塚プロダクションが高田馬場にあったことと、お茶の水博士が長官を務める「科学省」が高田馬場にあったという設定から、発車メロディにはアニメ『鉄腕アトム』の第1シリーズのテーマ曲が採用されました。また、高架下には手塚治虫さんの漫画作品に登場するキャラクターの壁画があります。
T02落合
神田川と妙正寺川がこの付近で「落ち合う」ことから「落合」という地名が付いたこの街は、川はもちろん緑も豊かに広がっている。
住居地としての歴史はかなり長く、縄文・弥生時代の住居跡が密集して発見されたほどである。
駅から少し歩いた場所にある、かつて「目白文化村」と呼ばれた住宅地エリアには、大正モダンの洋風建築が今も残っている。
明治の終わりから昭和の初めにかけて、多くの芸術家や文化人が移り住み愛されてきた落合は、自然・歴史・文化が共存する魅力にあふれている。
T01中野
昭和41年(1966年)には営団地下鉄(現在の東京メトロ)東西線の駅が開業し、中野周辺は大正・昭和にかけて人口が急速に増加。島式ホーム(※線路と線路の間にプラットフォームがある形式)4面8線を有する高架駅となり、開業当初は1日の乗車数が約300人だったのに対し、今では平均約30万人が中野駅を利用しています
関連するまとめ
ソフトボールをずっとやってきたので野球大好きです。
12球団のホーム球場制覇まで、残すは日ハムのみ。
日ハムの新球場完成したら観戦しに行って、12球団のホーム球場制覇してみせます!
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