多賀神社の御神幸

「おたがさん」の名で古くから直方市民に親しまれている多賀神社の神幸行事。3年に1度、秋季大祭の中日(10月第3もしくは第2土曜)に行われており、当日は、数十本の提灯の灯りと笛、太鼓、笙による音楽の中で、色とりどりの衣冠束帯姿の行列が町中を練り歩く。これは、京都の葵祭りを模して形成されたとも言われ、平安絵巻の幽玄な世界を彷彿とさせる。また、神馬に奉載して渡御される「御神馬(御)錦蓋」の形態をとっており、全国的にも珍しい御神幸式としても知れてます。

概要とは

多賀神社は 「お多賀さん」の愛称で広く親しまれ、伊邪那岐大神と伊邪那美大神を祭神とする長寿・ 厄除の神である。御神幸は、江戸時代に多賀神社の宮司・青山敏文が京都の御蔭祭と葵祭りにならっ た古式ゆかしいものである。行粧は、神官は衣冠・正装。装束供奉者は平安王朝の装束に垂直・裃な ど江戸時代の武家の服装を加え、これに礼装の一般の人達が続く、延々500m に及ぶ絵巻のような行 列である。また、日の出の海や花山などの飾り山を曳く人や、劔・矛・盾・弓など御神宝を持つ人が、 素襖・狩衣などを着用して、平安風にととのえられる。特に神霊を神馬に奉載し錦蓋をかけて渡御す る形式や、宮司が揚輿にのる例は全国でも珍しい。

特徴とは

多賀神社の御神幸の起源は諸説あり、仁和年間( 885~888)に始まったとする説や、南北朝の吉 野時代に懐良親王が多賀神社の前身である妙見大明神を再建した際、神田や神馬を寄進して神迎の神 事をしたのが始まりとする説などがある。現在の御神幸の形式になったのは、江戸時代黒田直方藩主 長清の代に、多賀神社の宮司青山敏文が、京都の上・下加茂御規神社の「御蔭祭(みかげまつり)」・ 「葵祭(あおいまつり)」の行粧を踏襲して再興してからとされる。
第二次大戦中は中断されていたが、戦後間もなく復活した。当時は隔年で開催されており、 2 日に わたり行なわれる、夜の御神幸であった。

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takuji

こんにちわ。
クエン酸と、テニス大好き少年です。プレーするのも、観戦するのも大好きです。
得意なのはフォアストロークです。アプローチから相手を追い込み、ボレーで決めるのが
基本的なスタイルです。苦手なのはバックです。弱点を隠し、なるべくフォアに回り込んで打つ癖で、弱点が余計に目立つようになりました。
これからも、弱点から逃げずにバックを克服していきます。

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