シンカーを投げる名投手
現在あまり使われなくなってきた変化球もあります。フォーム(投げ方)によっては投げづらい変化球。
はじめに
野球を始めると、はじめに覚えるのはプロ野球選手の投げ方をマネしたりして遊んでましたね。そのプロ野球選手の決め球の変化球を曲がらないなりに言葉で言ってた事を思い出します。
しかし現在あまり使われなくなってきた変化球もあります。フォーム(投げ方)によっては投げづらい変化球。右ピッチャーではシンカーと呼び、左ピッチャーではスクリューと呼びますね。右バッターには沈みながら向かってくるボール。左バッターには沈みながら沈むボールとやっかいな変化球ですね。この投げてが少なくなってきたシンカー/スクリューを巧みに扱った名投手を今回は紹介したいと思います。
高津臣吾
主に抑え投手としてメジャーリーグベースボール(以下:MLB)・日本プロ野球(以下:NPB)・韓国プロ野球(以下:KBO)・台湾プロ野球(以下:CPBL)を経験した初の日本人選手。NPB歴代2位の通算286セーブ、史上2人目となるNPB/MLB通算300セーブを記録している。
ヤクルトスワローズの守護神として活躍した高津臣吾選手も、シンカーボーラーとして一世を風靡した。1990年にドラフト3位でヤクルトに入団した高津選手は、中継ぎ投手として活躍。最優秀救援投手に4度輝いてチームの黄金時代を支えた。その時の決め球がシンカーだったのだ。
潮崎哲也
現役時代は西武ライオンズに所属。魔球と呼ばれたシンカーを駆使する投球術で西武の黄金期を支えた。2016年から埼玉西武ライオンズ一軍ヘッド兼投手コーチへ就任。2017年からは、二軍監督に復帰。
日本でシンカーという球種を定着させたと言っても過言ではないのが潮崎哲也選手ですね。潮崎選手の代名詞がシンカーだった。ストレートとシンカー、そしてスライダーを駆使し、その緩急、左右の変化で打者を翻弄していたのだ。2004年に現役を引退したが、現在でもシンカーボーラーといえば潮崎選手の名前が多く挙がるほどのインパクトだった。
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ソフトボールをずっとやってきたので野球大好きです。
12球団のホーム球場制覇まで、残すは日ハムのみ。
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