NBAの名門ロサンゼルス・レイカーズの歴史を振り返る第2弾にして最終章。

今回は1990年代後半~現在まで振り返ります。

1990年後半~2000年中盤

この時代は、まさにシャック&コービーの時代。

プレイオフで勝ち抜くことが出来なかった1990年中ごろの、1995-96シーズン終了後シャキール・オニールをオーランド・マジックより獲得。
ディバッツとの交換で得たドラフト指名権でコービー・ブライアント、全体24位でデレック・フィッシャーを獲得すると次第にチーム状態は上向き一躍優勝候補になった。

1999年にフィル・ジャクソンをヘッドコーチに迎え、グレン・ライス、ロン・ハーパー、ホーレス・グラントらベテラン選手を加えたチームは優勝し、レイカーズは2000年、2001年、2002年に3連覇を果たしオニールは3年連続でファイナルMVPを受賞して再び黄金時代を築いた。

特に2001年のプレイオフのレイカーズは15勝1敗で過去最高の勝率を記録した。2003年にサンアントニオ・スパーズに敗北し4連覇の道は閉ざされた。

2003-04シーズン前に何としてもチャンピオンリングを取りたいベテランのカール・マローン、ゲイリー・ペイトンと大物二人を加え「史上最強のチーム」とも呼ばれ、2004年のファイナルに進出したがデトロイト・ピストンズに1勝4敗で敗れた。

このシリーズではマローンの不振も目立った。オニールとブライアントは不仲であり(どちらが攻撃の中心となるか)、2004年7月にオニールはラマー・オドムらと交換でマイアミ・ヒートに移籍し、フィル・ジャクソンもチームを去り、シャック&コビーにコンビも終わりとなりました。

2000年中盤~現在

004-05シーズンにプレイオフ出場を逃した後、フィル・ジャクソンは再びレイカーズに戻ってきた。2005-06シーズン、チームはコービーを中心とし、コービーはチーム記録となる1試合81得点などを記録したがウエスト7位に終わり、プレーオフ1回戦でフェニックス・サンズに敗れた。 レイカーズが1回戦を勝ち上がっていた場合、同じステイプルズ・センターを本拠地とするロサンゼルス・クリッパーズとの対戦という面白い組み合わせとなるところだった。シャック退団後の数年は、コービーはスコアラーとしての能力を存分に発揮したがチームは中堅レベルだった。
2007-08シーズン冬季トレード市場には、クワミ・ブラウン、ジャバリス・クリッテントン、ドラフト指名権とのトレードでメンフィス・グリズリーズから2002年の新人王を受賞したパウ・ガソルを獲得し、大型センタープレーヤーの補強に成功すると再び西の強豪となりNBAファイナルに進出を果たしたがライバルチームのボストン・セルティックスに敗れた。
2008-09シーズン、ファイナルでオーランド・マジックを破り7季ぶり15回目の優勝を果たした。
2009-10シーズン、一昨年敗れた宿敵の相手ボストン・セルティックスをNBAファイナルで破り2連覇を果たした。
2010-11シーズン、3連覇を狙うレイカーズはその年のNBAファイナルを制したダラス・マーベリックスにプレーオフセミファイナルでスイープ負けを喫し、不完全燃焼でシーズンを終え、フィル・ジャクソンは退任した。
2011-12シーズンは見事6年連続プレーオフに進出し、昨年の名誉挽回を試みるが1回戦のデンバー・ナゲッツに予想外に手こずり7戦目でようやく勝利。しかし2回戦のオクラホマシティ・サンダーに1勝しかできずセミファイナル敗退が決まった。

2012年7月11日、サイン&トレードでMVPを2回獲得しているスティーブ・ナッシュがレイカーズに移籍することが決まった。背番号は10。サンズは2013年と2015年のドラフト1巡目指名権、2014年と2015年のドラフト2巡目指名権、現金300万ドル(約2億4,000万円)をレイカーズから獲得することとなる。レイカーズはさらに現役最強のセンター、ドワイト・ハワードをもマジックから獲得し、3年ぶりの優勝を狙った。しかし、HCのマイク・ブラウンが取り入れたプリンストン戦略に選手が上手く機能せずプレシーズンは0勝8敗に終わり、レイカーズ史上初のプレシーズン全敗を記録した。レギュラーシーズンが始まった第二戦目でナッシュはルーキーのデイミアン・リラードと衝突、その際に右脚を骨折する重症を負い20試合以上を離脱することになった。そして、第4戦目でHCのマイク・ブラウンがチームの成績不振で解雇され、代わりにナッシュがサンズ時代にHCだったマイク・ダントーニが就任する。この就任はナッシュがダントーニの得意とするアップテンポなバスケスタイルを理解しており、以前アマレ・スタウダマイアーと展開したようなピック&ロールがハワードと再現できるとチームが考えていたからとされている。
しかしナッシュが怪我で離脱している間、チームの戦略がマイク・ブラウンのデフェンシブな物からダントーニの超オフェンシブな物に変わりチームは混乱に陥った。コービー率いるレイカーズは奮闘したが、急激に変わった戦略に選手がうまく機能せず成績は前年にくらべ悲惨なものとなった。ダントーニの戦略を熟知しているナッシュが怪我から2ヶ月後に復帰し、希望の光が見えたレイカーズだったが、マジック時代にピック&ロールをほとんど経験していないハワードにはサンズ時代にアマレと展開したようなピック&ロールが出来ず、オールスターゲーム前の前半は25勝29敗と勝率5割をきっていた。オールスター後にHCのマイク・ダントーニは「チームがプレイオフに行くには20勝8敗が最低条件」と言及。勝率5割をきっていたレイカーズには高すぎるハードルだった。
だが、オールスターゲーム後半は快進撃を見せつけダントーニが最低条件と言っていた20勝8敗を見事に実現しレイカーズはプレーオフに7位で進出した。しかしレイカーズの大黒柱のコービーがレギュラーシーズン終了5日前にアキレス腱をゴールデンステート・ウォリアーズ戦で断裂、プレーオフは絶望的になった。
プレーオフは第一回戦でサンアントニオ・スパーズと対戦した。ところが、多くの選手を怪我で無くしていたチームはそのまま屈辱のスイープでシーズンが終了し、レイカーズにとっては最悪のシーズンとなった。シーズン終了後にハワードはヒューストン・ロケッツに移籍した。
低迷期[編集]
2013-14シーズンはコービーがわずか6試合、ナッシュが15試合にしか出場にできなかったこともありレイカーズがロサンゼルスにフランチャイズ移転以降初めて30勝以下となり27勝55敗と最低成績で終えた。8シーズン続いていたプレーオフ進出も当然途切れることとなった。
2014-15シーズンは、ヘッドコーチにチームOBのバイロン・スコットを招聘し、屈辱からの再スタートを切ることになった。しかしガソルがシカゴ・ブルズに移籍するなど暗雲が立ち込めていた。チームはガソルの獲得に伴ってブルズから放出されていたカルロス・ブーザーと契約。更にヒューストン・ロケッツから地元出身のジェレミー・リンを獲得するなど、積極的に動いた。だが、前シーズンからの悪夢は続いた。キャンプ中にニック・ヤングが右手を骨折し、ナッシュが持病の背中痛を悪化させて引退を表明した。更に開幕戦のヒューストン・ロケッツ戦で、ルーキーのジュリアス・ランドルが右足を骨折してシーズンは絶望となった。そしてコービーも2015年に入って右肩を負傷し手術のためにシーズン残り試合を全休となるなど、ネガティブな要素ばかりが目立ってしまった。スコットHCが掲げていたチームディフェンスの立て直しも進まず、結局は前シーズンをも下回る21勝61敗というチームワーストの成績でシーズンを終えた。
2015-16シーズンは開幕直後からコービーが絶不調で、それに引きずられるようにチームも負けを重ねた。11月29日にコービーが引退宣言を行い、レジェンドのファイナル・シーズンにチーム内外から奮起を求められたが、その後も昨シーズンから続くNBAワーストの28連敗中だったフィラデルフィア・76ersに敗れるなど調子は上がらず、2年連続でチームワーストを更新する17勝65敗に留まりウェスタン・カンファレンス最下位となって

関連するまとめ

【NBA】オフのトレードの効果は如何に!~ジミー・バトラー編~

今シーズンが始まるまでに成立したスター選手のトレードの効果はどうだったのか。

Bリーグ、ベスト5を発表!B.LEAGUE AWARD SHOW

30日に都内で2016-17シーズンのB.LEAGUE AWARD SHOWが開催され、リーグ戦の年間ベスト…

関連するキーワード