ブルーハーツ

THE BLUE HEARTSは、甲本ヒロト、真島昌利、河口純之助、梶原徹也の4人組バンドとして1985年に結成され、1987年にデビューしましたが1995年解散。
たった10年間・8枚のアルバムで日本のロック界に衝撃を与え、伝説になった日本ロック史に残るバンドの一つです。
「リンダリンダ」や「キスしてほしい」「情熱の薔薇」など、約10年間の活動で多くの名曲を残し、日本にパンクロックを定着させた。そして、様々なスタイルを継承する現代Jロックの原型を作ったとも言われその功績は大きいです。
 解散後もドラマやCM、映画などに使用され続け、今月4日に発売された30周年記念盤『ALL TIME MEMORIALS 〜SUPER SELECTED SONGS〜』は、オリコンデイリチャート初日から4日連続でトップ3入りを果たしています。
誰もが聞いたことがあろうヒット曲は現在もなお親しまれています。聞いた事が無くても一度聞けば口ずさめる、そのようなストレート且つ受け入れやすさがブルーハーツの魅力だと思います。

ユニコーン

1986年に広島県広島市にて結成し、1987年、アルバム『BOOM』でデビューしましたが、1993年に解散。
メンバーは奥田民生、手島いさむ、EBI、川西幸一、ABEDON
THE BLUE HEARTS、JUN SKY WALKER(S)と共にバンド御三家とも呼ばれていました。
力の抜けたボーカルと枠にとらわれない心地よい独創的なサウンドが特徴。
1987年にデビューしましたが1989年4月に1枚目のシングル「大迷惑」が発売になりました。この曲が発売されたときは、メジャーデビューから2年が経っていましたが、奥田民生曰く“忘れていた”のだとか。このゆるいテンポもユニコーンらしさかもしれません。
この曲自体は、息切れするほどにハイテンポなアップチューン。単身赴任のサラリーマンの悲哀を歌った歌詞には、至るところに、どこかねじれた奥田ワールドが散りばめられ、クセになりました。この曲をきっかけにより一層人気が出て、メジャーになっていったと思います。

プリンセスプリンセス

1983年に「赤坂小町」としてデビュー。
1985年にJULIAN MAMA(ジュリアン・ママ)に改名。
そして、1986年にようやく「PRINCESS PRINCESS」へと改名して、ミニアルバム『Kissで犯罪(クライム)』でCBSソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)よりデビュー。
1989年にDiamondsをリリース。この曲がブレイクにきっかけになりました。女性だけのバンドとして初の日本武道館公演を行い、一躍トップアーティストの仲間入りを果たし、人気は頂点に達しました。
このブレイクをきっかけに過去の曲も注目され、2ndシングル「世界でいちばん熱い夏」がCD化され、オリコンチャートで1位を獲得。
そこから人気があるまま解散してしまいました。
日本史上最高の女性ロックバンドがPrincess princessだと思います。今でも、Princess princessは後続の女性ロックバンドの追随を許していないと思います。

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