フィギュアスケートといえば、気づけば日本の十八番となっていますね。
手足の長い外国人選手にも負けないジャンプやステップ、表現力があります。
そんな日本の十八番のフィギュアスケートはいつどこから始まったのでしょうか。
今回はそんなフィギュアスケートの歴史を少しですが紹介したいと思います。

始まり

オランダでは、冬になると運河がほとんど氷結したのでスケート遊びが盛んでした。 英語の「SKATE」の語源となったのはオランダ語の「SCHATE」であり、最初に木製スケートを開発したのもオランダ人です。 そのオランダで「ダッチロール」と言われる滑走術が生まれました。両腕を前に組み背筋をそらしぎみにし、片足のアウトエッジで氷上に弧線を描きながら、 もう一方の足を後方に伸ばしてバランスを保つこの滑走術は、芸術性のある優雅なフォームが特徴的でした。17世紀の半ばイギリスに渡った「ダッチロール」ですが、 イギリスではその優雅さよりも、むしろ曲線を滑走する技術に耳目が注がました。やがてそのイギリスで多くの曲線滑走術が考案されていきました。

音楽とスケート

19世紀、ニューヨーク出身のバレエ教師ジャクソン・ヘインズはスケーティングにバレエのポーズやダンス・ステップを取り入れることを考案しました。
1863年には非公式であるが全米チャンピオンとなります。
間もなくヨーロッパへ渡ったヘインズは、ウィンナワルツに出会ったことで音楽をスケーティングに取り入れることを考案。 ベートヴェンやシューベルトの曲も使うことで好評を博し、これが今日のフリースケーティングの原型となりました。
1879年には、エジソンが開発したばかりの白熱灯照明を使い、ナイター競技がウィーンで開かれました。このことがフリースケーティングの人気をより一層深めました。

FIGURE SKATE

氷上についた滑走跡(トレース)を、一定の図形として滑ることが目的の競技が始まり、後の1892年には国際スケート連盟(ISU)が結成されました。 17世紀半ば以降、その曲線を滑走する技術に深い関心を寄せていたイギリスは、図形課題を重視することを競技規定の決定時に主張しています。これを受けて、 「氷上を滑りながら描く図形」を意味する「FIGURE SKATE」が競技全体の名称として採用されることになりました。
図形滑走は第一回の世界選手権以来、コンパルソリー(必要課題)とされたが、1990年限りで競技会から消滅。しかし、競技名としてはその名を残しています。

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