元祖二刀流ベーブルース。
大谷の活躍で、野球好きではなくても名前はを耳にしたことも多いのではないでしょうか。
では、ベーブルースがどういったキャリアを過ごしたのでしょうか。

メジャーデビューはボストン・レッドソックス

ベーブルースのメジャーデビューは、松坂大輔選手も所属していた、ボストン・レッドソックスです。

1914年7月11日には、初登板初勝利を記録する。しかし、当時のレッドソックスはスター選手を多く抱えており、登板機会がさほど与えられないままマイナーへ降格され、その年は5試合のみの出場。そのうち4試合が投手として出場しています。
ルースが「登板できないなら打撃で貢献しよう」とバッティング練習をすれば、自身のバットを折られる等の嫌がらせにも遭ったというが、ルースはどこからか古いバットを見つけてきてバッティング練習を続けたという[4]。また、ルースに代打が送られることもあるなど、後に本塁打王と呼ばれる選手に相応しくない処遇であった。

1915年から1917年にかけてルースが投手以外で起用されたのは、たったの44試合であった。
外野を守る回数が増え、登板する機会が減っていったのは1918年からで、その18年に13勝と11本塁打を記録しています。

出典:YouTube

ヤンキース時代

1919年シーズン終了後、ルースは前年の給料の2倍である2万ドル(現在の金銭価値に換算すると22万ドル)を要求した。これを拒否したオーナー対し、ルースは引退をちらつかせるなどの強硬行為をし、オーナー側はトレードを模索。12月26日にはヤンキースとの交渉がまとまり、その10日後には正式に発表された。

ヤンキース移籍後に投手から打者へ完全移行していきます。
その後の活躍はあまりにも多すぎて語るのも大変ですね。
ベーブルースの強打者のイメージはこのヤンキース時代の姿ですね。

キャリ成績

ベーブルースの野手としての生涯成績は、打率.342・本塁打714・打点2217打点と超人的にな成績ですね。
首位打者1回
ホームラン王12回
打点王6回
も受賞しています。
投手としても94勝。投手としての実働が6年。ルーキーイヤーを抜けば5年でこの勝利数も凄いですね。

このような選手と比較されつつある大谷選手はすごいですね。
これからの活躍に期待です。

出典:YouTube