みなさんプロレスを見た事はありますか??私も生で見た事は数少ないですが、あの大男たちが宙を舞、華麗な技を披露するプロレスは魅力がありますね。テレビでも見る機会も少なくなってきましたが、プロレス人気は絶大です。
そのプロレス界を牽引してきた男が去りました。
アントニオ猪木。
若い人には認知はあるのだろうか。
燃える闘魂の意思を、今のプロレスラーが若い人達にも伝えていって欲しいですね。

今回はアントニオ猪木について紹介したいと思います。 

アントニオ猪木

1943年生まれ、神奈川県出身。60年に移住先のブラジルで力道山にスカウトされ、プロレスデビュー。東京プロレス、新日本プロレスを旗揚げし、数多くの試合で活躍。ボクシングのモハメッド=アリらとの異種格闘技戦を行い、後年の総合格闘技の礎を築いた。89年に参議院議員選挙で当選し、初の国会議員プロレスラーとして話題となった。98年、現役引退後は、新団体『IGF』の設立、映画・CM出演など多方面で活躍。2010年に日本人初のWWE『殿堂(ホール・オブ・フェーム)』に認定された。

出典:YouTube

モハメド・アリとの一戦

1976年6月26日に東京の日本武道館で行われた、当時プロボクシングのヘビー級チャンピオン モハメド・アリさんとの一戦でした。「格闘技世界一決定戦」として日本を代表するプロレスラーと現役の世界チャンピオンの対戦は大きな注目を集めました。

この試合について猪木さんは2000年に出版した自伝で、「アリさんの頭への攻撃」や「立った状態での蹴り」、「ひじやひざによる攻撃」などを禁止とするよう、試合前日になってアリさん側から求められたことを明らかにしています。

試合は1ラウンド3分の15ラウンド制で、“蝶のように舞い、蜂のように刺す”というフットワークの軽さが持ち味のアリさんに対して、猪木さんは序盤からリングに寝転がってあおむけの状態からアリさんの足元への蹴りを狙っていきました。

そのまま終盤まで、立ったままパンチを狙うアリさんに対して、寝転がったままの猪木さんが足元への蹴りを狙うという展開が続き、互いに決め手を欠いたまま判定で引き分けとなりました。

最終の第15ラウンドまで、両者が立ったまま拳を交えたり技を掛けあったりすることはほとんどなく、こう着状態が続いたこともあり、一部では「世紀の凡戦」とも言われましたが、この試合は猪木さんの名前が海外に広く知れ渡るきっかけにもなりました。

燃える闘魂

プロレスでは「燃える闘魂」のキャッチフレーズの通りに熱い闘いで魅了。「元気ですか!」「1、2、3、ダァー!」などのパフォーマンスはリングを超えて浸透した。

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