はじめに

みなさんは黒田官兵衛をご存知でしょうか?
一気に黒田官兵衛の知名度を上げたのは、2014の大河ドラマで、
V6の岡田准一くんが演じた黒田官兵衛ではないのでしょうか?
黒田官兵衛を知らない方もいると思いますので、今回は黒田官兵衛についてですが、少しだけ紹介したいと思います。

黒田官兵衛

官兵衛の物語は、1546年(天文15年)12月22日、黒田職隆(くろだ もとたか)の嫡男として播磨(姫路)で誕生(幼名は万吉)したところから。

14歳のときに母親を亡くし、相当に落胆したが、幼少の頃から学問を学んでいた僧侶「円満」から「軍師・張良」の話を聞き、さらに学芸・学問に打ち込んだと言われています。

官兵衛の名が播磨に轟いたのは「青山・土器山の戦い」。300騎という少数で大軍を破ったことで名声を得ました。

天下人に愛された

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。
三人の天下人に愛され、恐れられた男、官兵衛。

その類いまれな知略と先見性で戦国の世を駆け抜けた知将・黒田官兵衛孝高(如水)は、戦乱の世にあって「戦わずして勝つ」を実行した、奇跡の名将といえるかもしれません。

播州の御着城主・小寺家の家老として家督を相続した陪臣に過ぎない官兵衛が、一躍歴史の表舞台に登場したのは、織田信長に拝謁した三十才の頃。
確かな知識と情報収集力で、いちはやく信長支持を表明し、天下布武の突破口を開いた八面六臂の活躍は、彗星のような輝きを放っています。
本能寺の変で信長が斃(たお)れた後も、秀吉の天下取りを支え導きました。

天下取りを支えた最強の軍師という一面だけでなく、戦国の時代において、側室を持たず一人の女性を愛した愛妻家であり、歌や茶会を愛する文化人であり、キリシタン大名であるなど、豊かな人間愛が終始貫かれています。
敵将や将兵までもが自ら進んで官兵衛の軍門に降りるのも、官兵衛の将としての器の大きさを物語っているのではないでしょうか。

代表的な戦

天正18年(1590年)、豊臣秀吉は天下統一のため関東の大勢力北条氏の居城・小田原城に進軍します。

小田原城は堅固な要塞であったことから豊臣秀吉が長期戦になると考えていましたが、各方面軍が順調に城を落としたことや一夜城の効果もあり北条軍の士気を落とすことに成功します。

豊臣秀吉は北条家への使者として黒田官兵衛小田原城へ行き無血開城させました。

黒田官兵衛は兵を従えず丸腰で来たことから北条氏政は感銘したと言われています。

小田原城の落城によって豊臣秀吉が天下統一をしました。

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