五十嵐亮太

ソフトバンクホークスの最年長選手は五十嵐亮太選手。
1979年生まれの38歳で、1997年のドラフトで敬愛学園高等学校を経てドラフト2位でヤクルトスワローズに入団。
セットアッパーの印象が強い五十嵐選手ですが、入団当初は先発を任されており、2000年のシーズンには11勝をマークし、古田敦也氏とともに最優秀バッテリー賞のタイトルを獲得しました。翌シーズンから中継ぎを任され、2004年のシーズンからは、絶対的守護神の高津臣吾選手の退団もあり、抑えを任されるようになり、このシーズンに最優秀救援投手のタイトルを獲得し、球界を代表する抑え投手に成長しました。
しかし、その後は、怪我に悩まされ思うような結果が残すことができませんでしたが、2008年に復活を果たし、2009年のシーズンオフにメジャーリーグに挑戦しました。メジャーリーグでは3年間プレイし、
2013年からは日本球界のソフトバンクホークスに入団しました。
ソフトバンクホークス入団後は、絶対的セットアッパーとして活躍し、2014年のシーズンには最多ホールドをマークし、日本一にも貢献しました。昨シーズンも中継ぎとしてチームを牽引し、最強とも呼び声が高いソフトバンクホークス救援陣の中心として現在でも活躍しています。
38歳という年齢ながら年を感じさせないピッチングを見せる五十嵐選手。今後の活躍にも期待したいですね。

川崎宗則

野手の最年長選手は川崎宗則選手。
1981年生まれの36歳。1999年のドラフトで、鹿児島工業高等学校を経てドラフト4位で福岡ダイエーホークス(現ソフトバンクホークス)に入団。
入団当初は2軍でしっかり実績を積み、2軍で首位打者を獲得し、2003年からはレギュラーに定着。村松選手、井口選手とともに盗塁を量産し、「ダイハード打線」に貢献していました。
2004年のシーズンには自身初のタイトルとなる打率3割と、盗塁王と最多安打のタイトルを獲得し、チームの中心選手にまで成長しました。明るく、ムードメーカーである川崎宗則選手選手は、一気に球界の人気者になりました。
2012年のシーズンに、尊敬するイチロー選手を追いかける形で、マイナー契約ながらメジャー挑戦をし、イチロー選手とチームメイトとなりました。明るい性格はメジャーリーグでも人気を博し、移籍時にはファンが泣き出すというエピソードもありました。
そして昨シーズン途中から自由契約を機に、ソフトバンクホークスに復帰。アキレス腱の怪我の影響もあり、思うような結果が残せませんでしたが、ムードメーカーとしてチームを牽引し、日本一に導いてくれました。
2/21現在、まだ契約を結べていませんが、怪我から復帰し、契約を再度結んで、ソフトバンクホークスの柱として今後も活躍して欲しいですね。