原貢監督と、息子辰徳の父子鷹で活躍

東海大相模の野球部はじまりは、1965年に福岡の三池工業を夏の甲子園初出場初優勝に導いた原貢を監督に招き強化をしたのが始まりでした。原が監督就任し5年目の1970年の第52回全国高等学校野球選手権大会で優勝を果たし、全国に名を知れる名門校の仲間入りを果たしました。その後1974年には後にジャイアンツの若大将としてプロで大活躍する息子辰徳との「親子鷹」で全国大会に出場。ベスト8に進出しました。

神奈川県高校野球の七不思議

その後の度々甲子園に出場し、2000年の春のセンバツでは筑川利希也(のちにホンダ硬式野球部)を擁して初優勝、紫紺の大旗も手にしました。ただ、その頃までの東海大相模に甲子園出場は春のセンバツに限っており、1978年から2010年までの33年間夏の甲子園に出場できませんでした。そのことから「神奈川高校野球の七不思議」の一つとも言われており、特に2006年から2008年にかけては3年連続で神奈川大会(2008年は記念大会のため神奈川県は南北分割開催。北神奈川大会での出場)の決勝で敗退する勝負弱さがありました。
しかし、2010年は一二三慎太を擁し33年ぶりに悲願の夏の甲子園に出場、甲子園では3回目の準優勝を果たすこととなりました。

黄金時代の到来

2010年の準優勝を皮切りに、東海大相模は黄金時代を迎えます。
2011年の春のセンバツでも、11年ぶり2回目となる春のセンバツ優勝を果たしました。この大会では大会新記録となる大会通算最多安打・大会通算最多塁打、1試合最多満塁本塁打などの記録を残し圧倒的な強さを残しました。
そして2015年の夏の甲子園では小笠原慎之介(現中日)と吉田凌(現オリックス)の「左右のWエース」を擁し、圧倒的な戦力で45年ぶり2度目の全国制覇を果たしました。
現在では神奈川県内のみならず、全国から選りすぐりの選手たちが集まり、激戦区神奈川県の高校野球界を引っ張る存在として君臨しています。

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