難攻不落!戦国期最大の『小田原城』

小田原城は、戦国武将の北条氏の本拠地として知られる城。南に相模灘、東に酒匂川、西と北には箱根山という要害堅固な城で、四代目の北条氏政の時代にはあの武田信玄や上杉謙信の攻撃さえも退け、難攻不落の城と呼ばれていました。しかし天正18年(1590年)、天下統一間近の豊臣秀吉の軍勢による包囲戦の末に落城しました。

現在の天守閣は、昭和35年(1960年)に小田原市政20周年の記念事業の一環で再建されたもので、2016年に平成の大改修を終えたばかりです。

3月18日から4月9日まで、桜の開花時期に合わせて、天守閣の開館時間が午後11時まで延長されます。桜の咲き始めはまだですが、ライトアップされた天守閣を見るには今が1番いい時期かもしれませんね!

板付は小田原が発祥!『かまぼこ』

蒲鉾の歴史は古く、3世紀頃、すりつぶした魚の身を鉾の先につけ、焼いて食したのがはじまりだと伝えられています。小田原で蒲鉾づくりが盛んになったのは、今から220年くらい前(天明年間)で、小田原は沿岸漁業が盛んでたくさんの魚が獲れていましたが、当時は交通が不便であり、新鮮な魚を箱根などの供給することが困難でした。

そこで保存性のよい蒲鉾作りが盛んになったそうです。特に小田原は、蒲鉾づくりに欠かせない豊富な魚と水に恵まれていたためです。
さらに、小田原蒲鉾は参勤交代で箱根路を通る大名にも賞味されたため、職人たちはより一層技術の向上、鍛錬に励み、その美味しさは多くの人々の口伝えで全国へ広まっていったと言われています。

本家は小田原!『ういろう』

ういろう(外郎)は日本の蒸し菓子の一種。米粉などの穀粉に砂糖と湯水を練り合わせ、型に注いで蒸籠で蒸して作られます。穀粉には米粉(うるち米、もち米)、小麦粉、ワラビ粉などが用いられ、砂糖には白砂糖、黒砂糖などが用いられる。小豆あん、抹茶など、さまざまなものが加えられることも多いが、室町時代のころから存在する黒砂糖を用いた「黒糖ういろう」が本来の姿と考えられていましす。

そんな「ういろう」は名古屋名物だと思っていましたが、実は小田原が発祥の地なんです。「ういろう」は元々、平安時代から作られていた漢方薬で、その後、室町時代に菓子にもなりました。

そもそも「ういろう」は外郎(ういろう)家が代々作り続けているもので、お菓子の「ういろう」は、薬を買いにきたお客にお茶菓子として出していたもので、当初は売り物ではなかったそうです。ところが、江戸時代、お菓子の「ういろう」の評判を聞きつけた他の店が、「ういろう」を売り始め、現在では名古屋の名物になってるようです。

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