七柱の福の神「七福神」が、現在のような形で人々に定着したのは江戸時代中頃。
浮世絵にも宝船に乗った七福神が描かれ、正月には初詣でを兼ねての七福神詣でが庶民の間で盛んに行われてきました。
そんな七福神を紹介していくシリーズです。
今回は大黒天様様です。

大黒天とは

大黒天は、大自在天の化身ともいわれ、大国主命と神仏習合したものである。
一度仏となったが、人々に福徳を授けるために再びこの世に現れたという。大地を掌握する神様(農業)でもある。

大きな袋を背負い、打出小槌をもち、頭巾をかぶられた姿が一般によく知られていて財宝、福徳開運の神様として信仰されています。

もともとは、マハーカーラと呼ばれるヒンドゥー教の神で、創造と破壊を司るシヴァ神の化身。
仏法守護の神として伝来したが、後に日本神話の大国主命(おおくにぬしのみこと)と結びつき、福の神として信仰された。
打ち出の小槌と大きな袋を持ち、米俵と白鼠を従えた姿で描かれる。ご利益は五穀豊穣、家産増進、子孫繁栄。

インドでの大黒天様

シヴァ神は、世界に悪がはびこった時に宇宙を破壊して再生させる怖い神である。
しかしインドの人びとは、シヴアを魔神を退治して人びとを守り、知恵を授け苦行を課して人間を成長させる神として信仰した。
このシヴァの分身であるマハーカーラが仏教に入り、さまざまな御利益をもたらす仏とされるようになっていった。

古代インドの神々は天部という格の低い仏とされた。
しかしそれと共に仏教は天部の仏が人びとの生活に即したさまざまな願いを叶えてくれる身近な仏であると説いた。
大黒天は、人びとに食物を授ける役割の仏とされた。

日本と中国での大黒天様

中国に大黒天信仰を広めたのは唐代に活躍した義浄(635―713)である。
義浄は三蔵法師(玄美)にあこがれて、はるばるインドを訪れ多くの仏典を中国にもたらした人物として知られる。
玄美がシルクロード経由の陸路をとつたのに対して、義浄は海路でインドを訪れた。
義浄は弁財天信仰を広めたことで知られるが、かれは大黒天も祭った。
そのため義浄の影響で唐代以後の中国の寺院で、大黒天が食物神としてひろく信仰されるようになっていった。

インドの大黒天は三つの顔と六本の腕を持っていたが、中国で顔が一つ手が二本の穏やかな表情の仏に変わった。
しかし中国の大黒天像は、武装した姿に作られたものが多い。
これは、大黒天が本来は武芸の神であることからくるものである。

大黒天信仰が日本の寺院に入ったあと作られた大黒天像は、武装姿のものと平服のものとが、ほぼ半々であった。平服姿の大黒天像には、左肩に食べ物を入れた袋を背負ったものが多い。
このような大黒天像が、大きな袋を背負って出雲から因幡に旅をして稲羽素兎と出会った大国主命の姿と融合して、私たちに馴染み深い大黒天像が作られたのである。

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