羽子板市

毎年、12月の17日、18日、19日の3日間、台東区の浅草寺(観音様)の境内で羽子板市が開かれます。
「市」とは、神社仏閣の縁の日、参詣人の集まる日に、近郷在住の人々が日常生活用品を商うために「市」が立ち、「歳の市」とはその歳の最後の市です。
江戸の歳の市は浅草が最も古く、万治元年(1659年)両国橋が架けられた頃と言われています。
浅草の歳の市は、日常生活用品の他に新年を迎える正月用品が主になり、それに羽子板が加わり華やかさが人目をひくようになりました。その華やかさから押し絵羽子板が「市」の主要な商品となり、いつしか市が「羽子板市」といわれるようになり「人より始まり人に終わる」と言われるほどの賑わいとなりました。

現在も「羽子板市」の当日は、浅草の仲見せ通りは大変な人出です。
年の瀬の風物詩として、いつまでも大切にしたい日本人の心に残る行事のひとつです。

羽子板とは

羽子板の歴史は古く神社などで魔除けや占いの神事に使われていたと思われます。この羽子板がお正月の遊戯や贈り物に用いられたのは室町時代です。
羽子板は、古くは「胡鬼板」(こぎいた)や「羽子木板」(はねこいた)とも呼ばれ、羽子(羽根)は、「胡鬼の子」「はごの子」「つくばね」とも呼ばれていました。
室町時代の永享4年(1432)正月5日に、宮中で宮様や公卿・女官などが集まって、男組と女組に分かれ「こぎの子勝負」が行われたと「看聞御記」という書物に記録されています。
戦国時代から羽根つきに厄払いの想いがあり、江戸時代は年末に邪気よけとして羽子板を贈ったとのことです。 今も女児の初正月に羽子板を贈ることが習慣が残っています。

歴史

万治2年(1659年)、浅草の商人が年の瀬に使う品物やしめ飾りを路上で売り出したのが始まりだったといいます。
その頃は「歳の市」と称していました。
その後、華やかな羽子板が中心となっていき、江戸時代は役者の人気をはかるブロマイドのような存在でした。
現在では歳の市から「羽子板」だけが完全に独立しましたが、正月飾りの数々を並べるお店もあり、歳の市の名残もあります。

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takuji

こんにちわ。
クエン酸と、テニス大好き少年です。プレーするのも、観戦するのも大好きです。
得意なのはフォアストロークです。アプローチから相手を追い込み、ボレーで決めるのが
基本的なスタイルです。苦手なのはバックです。弱点を隠し、なるべくフォアに回り込んで打つ癖で、弱点が余計に目立つようになりました。
これからも、弱点から逃げずにバックを克服していきます。

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