唐津くんち

唐津くんちは、一般的には唐津神社の秋季例大祭を指します。「くんち」は「くにち」が転化したもので「供日」「九日」と書きます。現在では、11月3日を中心に前後の日程で執行されていますが昭和42年以前は旧暦の9月にあたる10月29日、30日に開催していました。
幾重にも貼り合わせた和紙と漆(うるし)による手の込んだ技法で制作された巨大な「曳山」(「ひきやま」または「ヤマ」と読ませる)が、笛・太鼓・鐘(かね)の囃子(はやし)に合わせた曳子(ひきこ)達の「エンヤ、エンヤ」「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声とともに、旧城下町を練り歩きます。ちなみに「ヨイサ」の掛け声は、4番曳山及び14番曳山のみ使われます。
昭和33年(1958年)に曳山14台が佐賀県の重要有形民俗文化財に、さらに昭和55年(1980年)には「唐津くんちの曳山行事」が国の重要無形民俗文化財に指定されました。
神幸(おみゆき)は江戸時代前期の寛文(かんぶん)年間(1661~1672年)に始まりとされますが、確実な記録は宝暦13年(1763年)、土井・水野両藩における引継文書にあたる覚書の中の文書の一節に
「一、城内唐津大明神九月二十九日祭礼の節西ノ浜へ神輿の行列御座候故寺社役の内より一人同心・・・相勤目付並組足頭到出候、惣町より傘鉾等差出於西ノ浜角力有之候二付き代官手代頭組の者立会差出候」
とあります。

唐津神社

社伝によれば、三韓征伐に際して航海の安全を住吉三神に祈願した神功皇后が、帰朝の後に報謝のため松浦の海浜に宝鏡を縣けて三神を祀ったのに起源を持ち、天平勝宝7年(755年)に、時の領主であった神田宗次が神夢により海浜に赴くと、漂着してきた宝鏡入りの筺を得たので、神功皇后の捧げた鏡であろうと帝に奏聞したところ、9月29日に「唐津大明神」の称号を賜ったという。文治2年(1186年)、宗次の後裔を称する神田広(実は源久の5男)が社殿を造立して神田を寄進し、神田宗次の霊を合祀したという。慶長年中に寺沢氏が唐津城を築いて入部すると、同7年(1602年)(または11年(1606年)に当神社を再建、以後唐津藩主の祈願所と定められ、崇敬を受けた。
明治6年(1873年)に郷社に列し、これを機に現在の「唐津神社」に改称した。それ以前の神社の名前はわからない。昭和17年(1942年)県社に昇格、戦後は神社本庁に参加する。

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takuji

こんにちわ。
クエン酸と、テニス大好き少年です。プレーするのも、観戦するのも大好きです。
得意なのはフォアストロークです。アプローチから相手を追い込み、ボレーで決めるのが
基本的なスタイルです。苦手なのはバックです。弱点を隠し、なるべくフォアに回り込んで打つ癖で、弱点が余計に目立つようになりました。
これからも、弱点から逃げずにバックを克服していきます。

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