10月に行われるお祭りを紹介します。ぜひ見たことがない人はご覧あれ。その12
名古屋市西区比良は市域の北西端に位置し、かつて東西に流れる新堀用水を境に、南北に呼び分けられていた。
比良祭り
名古屋市西区比良は市域の北西端に位置し、かつて東西に流れる新堀用水を境に、南北に呼び分けられていた。
それぞれ北比良を河北、南比良を河南といい、北比良に鎮座する六所神社を氏神として祀っていた。
六所神社ではいくつかの祭礼が行われている。現在山車の出る祭りは10月の六所神社例祭であるが、かつては6月14日の天王祭に山車が出ていた。現在では総天王祭と呼ばれる祭りである。
比良の山車祭りがいつから始まったのかは定かではないが、天王社の歓請が明暦年間であることから、祭りの開始はそれ以降のことである。山車に関する墨書銘で最古のものは、南比良の山車内部の文政5年(1822)の銘である。
太平洋戦争後は、一時山車祭り再開や中断があったものの、地域の熱意で昭和40年に山車の曳行が再開され、不定期ながら祭礼がおこなわれた。その後祭礼日を休日に変更し、現在では10月第2日曜日の例祭に隔年で山車を曳くようになっている。
学区の紹介
比良は、明治初期は西春日井郡比良村であったが、明治39年(1906年)平田村、大野木村、上小田井村、中小田井村と合併して山田村の大字となった。
昭和30年(1955年)名古屋市に編入され、昭和44年(1969年)、山田小学校比良分校が比良小学校として独立、誕生した。
昭和37年(1962年)の市営比良荘の建設を契機に住宅やアパート、マンションの建設が相次ぎ、人口は急増した。昭和52年(1977年)比良学区から比良西学区が分離、独立した。比良住民の決断により約20年を費やした区画整理事業は昭和56年(1981年)に完成し、住みよいまちづくりの礎となった。
180年を超える歴史を持つ2台の山車や蛇池堤の桜などの伝統が保存会や住民の熱意と努力により受け継がれてきている。
山田地区合併50周年記念事業でも披露した湯取神子車山車は文政8年(1825年)、二福神車山車は文政9年(1826年)の作とされ、今も2年に1度、小学生から中高年までが参加し、見事な曳きまわしが行われている。
関連するまとめ
こんにちわ。
クエン酸と、テニス大好き少年です。プレーするのも、観戦するのも大好きです。
得意なのはフォアストロークです。アプローチから相手を追い込み、ボレーで決めるのが
基本的なスタイルです。苦手なのはバックです。弱点を隠し、なるべくフォアに回り込んで打つ癖で、弱点が余計に目立つようになりました。
これからも、弱点から逃げずにバックを克服していきます。
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