メジャーリーグ全体の永久欠番「42」とは?
人種差別の撤廃に大きく貢献したジャッキー・ロビンソン氏の功績を称え、出場選手全員が背番号「42」のユニフォームを着用して試合が行われる。
はじめに
アメリカメジャーリーグでは全球団の永久欠番に「42」があります。
日本のプロ野球でも各球団には永久欠番がありますが、
球界全体で統一された永久欠番はありませんね。
日本より球団数が多いアメリカのメジャーリーグで全球団が背番号「42」を永久欠番にしているのは何故でしょうか?
今回はそんなメジャーリーグの「42」について少しですが紹介していきたいと思います。
ジャッキー・ロビンソン
20世紀以降に米球界のカラー・バリアを破り、人種差別の撤廃に大きく貢献したジャッキー・ロビンソン氏の功績を称え、出場選手全員が背番号「42」のユニフォームを着用して試合が行われる。
ロビンソンは、1947年にメジャーデビューを果たし、1884年のモーゼス・フリート・ウォーカー氏以来となるアフリカ系アメリカ人のメジャーリーガーとなった。
1947年の米国は人種差別が根強く残っている時代で、ロビンソンがメジャーデビューを果たす際には、所属するブルックリン・ドジャース(当時)以外の全球団から出場に反対する声が上がっていた。ロビンソンが出場するなら対戦を拒否するといった球団や、チームメイトにもロビンソンと共にプレーすることを嫌がり、トレードを志願する選手が出てくるほどだった。
しかし、MLB上層部の賢明な判断や、当時ドジャース監督だったレオ・ドローチャー氏が、人種の関係なく優秀な選手を使うことを表明。そして、ロビンソンの真摯な対応もあり、シーズン終了後にはチームやマスコミなどにも受け入れられた。そして、ロビンソンは打率.297、12本塁打、48打点、29盗塁という成績を残し、同年より始まった新人王を受賞した。
ロビンソンはMLB初の新人王ということもあり、1987年にはこれを記念して、新人王に「ジャッキー・ロビンソン賞」という別名が付けられている。
その後、10年のキャリアの中で、首位打者、盗塁王、リーグMVPなどを受賞したり、ワールドシリーズ制覇を経験するなど主力選手として活躍。引退後、黒人の地位向上などに積極的に取り組んでいたが、1972年に53歳の若さでこの世を去った。
永久欠番に
ロビンソンのメジャーデビュー50周年となる1997年4月15日、ロビンソンの着用していた背番号「42」は米球界全体で永久欠番となった。また、制定以前から42番を着用していた選手は、特例として背番号の継続が認められた。そして、2013年にニューヨーク・ヤンキースの守護神、マリアノ・リベラ投手が引退したことによってMLBから42番を背負う選手がいなくなった。
そして、2004年4月15日に「ジャッキー・ロビンソン・デー」が制定され、2007年のロビンソン・デーからは、ケン・グリフィー・ジュニア氏の提案により希望する選手全員が背番号「42」のユニフォームで試合に臨むようになった。そして、2009年からは全選手が着用するようになり、現在に至っている。
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