はじめに

みなさんはけん玉をやった事はありますか?
意外にやった事のない人も多いのではないでしょうか?
幼稚園や小学校時代には、けん玉が置いてあって遊んだ記憶もあります。
しかし、最近ではけん玉も見なくなってきましたね。
今回はそんなけん玉の歴史について紹介したいと思います。
これを見て少しはけん玉に興味を持ってもらえるといいですね。

けん玉の歴史

けん玉は世界各地にあり、英語でカップ・アンド・ボール(Cup and Ball)、フランス語でビル・ボケ(Billeboquet)、ドイツ語でクーゲル・ファング(Kugelfang)といいます。

けん玉の起源についてはいろいろな説があり、現在はまだ確認されていません。今、けん玉の古い記録で確認できるのは、16世紀のフランスで国王アンリ3世のころです。ピエール・ド・エストワールが「1585年の夏、街角で子どもたちがよく遊んでいる“ビル・ボケ”を、王様たちも遊ぶようになった」と書いています。このことはフレデリック・グランフェルドの『GAMES OF THE WORLD』にも、国王アンリ3世が好んで遊んでいたという記事を載せていることからも裏づけられます。

貴族や上流家庭のビル・ボケは象牙などを使い、彫刻がほどこされていたのでたいそう高価なものでした。現在世界各地にあるけん玉の多くはこのビル・ボケが伝わったものと考えられます。

日本のけん玉の歴史

日本の古い文献でけん玉が登場するのは、義浪ぎろう編『拳会角力図会けんさらえすまいずえ・下』(1809年)と、喜多村信節きたむらのぶよ著『嬉遊笑覧きゆうしょうらん』(1830年)があります。『拳会角力図会・下』では「匕玉拳すくいたまけん」の頃に木酒器玉こっぷだまの図と共に遊び方が記されています。その遊び方は双方交代で5回中1回か3回中1回、玉を皿にすくい入れて勝ち負けを競うとあります。また、その日の吉凶や待人などの占いにも用いられたとあります。『嬉遊笑覧』のはけん玉を“拳玉”と記してあり、“拳玉”を用いて投げた玉を凹み(皿)に受けてから、逆さまに返して細きかたにとどめるとあります。どちらにしても現代のけん玉に比べると単純な遊び方です。安永あんえい6,7年のころ出て来たとあります。安永6年は1777年です。“匕玉拳”も“拳玉”も当時、国内唯一の開港地であった長崎から広まったものと考えられます。

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