はじめに

みなさんは風水を信じますか?
良く家を決めるときや、模様替えで風水を利用したりしますね。
昔はテレビでも風水を使った番組などもありました。
そもそも風水とはどういったものなのでしょうか?
今回は風水について少しですが紹介したいと思います。

風水

風水とは、今から約四千年前に中国で発祥した、「気」の力を利用した環境学のこと。
そういうと難しく聞こえるかも知れませんが、風水とは、衣・食・住、行動など、自分の環境すべてを使って運を開いていく、いわば、開運のための環境学なのです。
「環境が運を決める」これが、風水の基本的な考え方です。本来持って生まれた運は、本人にはどうすることも出来ません。でも、その運をどんどん増やしていける方法があるといったらどうでしょうか?
その方法を示すのが風水なのです。風水とは、自分に影響を与えるあらゆる環境を使って、運を開くためのマニュアルと言えるのです。運が悪いと思う人は、まずは自分の環境を見回してみましょう。
必ずそこに自分の運を落としている原因を見つけることができるはず。それを取り除き、運を呼び込むための風水を実践することで、どんな人でもかんたんに運のいい人になれるのです。

歴史

風水の起源は黄河文明の頃、「いかに安全で暮らしやすい場所に住むか」という住環境の研究から始まり、その後中国の戦国時代に生まれた五行思想や暦占術、民間道教を取り入れて発達し、後漢頃には風水の基礎のようなものが確立されていきました。

そして、晋の時代(三世紀頃)には死者の住居である墳墓をより良い場所に求めることが非常に重要視され、日本にも陰宅風水として伝えられました。

ただ、日本ではあまり「風水」という名称は広まらず、飛鳥・奈良時代に同じくして大陸より伝わった奇門遁甲や暦占、天文学とともに、奈良から平安時代に発達した陰陽道の中に融合していったようです。

最初の風水ブームはすでに墓地選定法として飛鳥時代に訪れ、平安時代には国家的プロジェクトとして藤原京や平安京などの都の造成のために活かされていたのです。

平安京が東に青龍、西に白虎、南に朱雀、北に玄武という四神に守られた四神相応という、風水では理想と考えられる地形になぞらえて作られた都市であるということを聞いたことがある人も多いかと思います。

四神とは、奈良の高松塚古墳やキトラ古墳の壁画にも描かれている四方位を守る四柱の獣神で、これらになぞらえた四神相応の地とは、「東に流水があり、西に大きな道があり、南に池やくぼ地があり、北に丘陵がある」という地形のことです。

平安京は東に鴨川、西に山陰道、南に巨椋池、北に船岡山があることによって選ばれた四神相応の地であるといえるのです。

中国と距離も近く、当時より国交も盛んであった琉球では本土とは異なった経緯で風水が伝わり、陰宅風水=墓相を中心に独自の発展を遂げていきました。

本家の中国では明から清の時代にかけて研究がおこなわれ、さまざまな流派に細分化していったのですが、北方の異民族・満州民族が支配した清代やその後の戦争での混乱、社会主義政策と文化大革命などによって中国での風水は徐々に影を潜めていきました。

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