1位 バレンティン 60本

ヤクルトスワローズに所属するバレンティン選手。

2011年にヤクルトスワローズに加入し、5月29日までで通算ホームラン191本。
2013年のヤクルトスワローズ3年目にこの記録が生まれました。
この年、序盤は怪我の影響で2軍スタートするものの、4月13日に1軍復帰。
序盤はブランコ選手に最大10本の差を離されており、ペースは遅かったものの、中盤から徐々にホームランの数を増やしていき、6月には打撃部門3冠で月間MVPを獲得するとその後もハイペースで量産していき、8月27日にシーズン50本のホームランを達成しました。
その後、警戒され、敬遠などフォアボールが増えましたが、9月11日のジャイアンツ戦で王貞治氏が持つシーズンホームラン数55本に並ぶと、9月15日には王貞治氏のホームラン数を抜き、シーズン最多ホームラン記録を更新しました。
終わってみればこのシーズン60本という驚異的な数字を残しました。

私が記憶に残っているホームランは54本目の広島カープの前田健太選手から放ったホームランです。
このホームランは高めの完全ボール球でしたが、バレンティン選手はパワーでバックスクリーンへ運びました。これには前田選手も苦笑い。あの球をホームランにできる選手はそうそう現れないと私は思いました。

2位 王貞治、ローズ 、カブレラ 55本

2位の55本に3人が名の選手が名を連ねています。

まずは王貞治氏。
言わずと知れた日本が誇る世界のホームラン王、王貞治氏。
通算ホームラン数は868本で現在でも抜かれていない世界記録です。
この記録はプロ5年目の1964年にマークされた記録で、このシーズン、当時のシーズンホームラン数の野村克也氏の52ホームランを軽々抜き、9月23日のダブルヘッター2試合目に達成。それも24歳という若さでの達成でした。
王貞治氏といえば、一本足打法のイメージが強いかと思いますが、一本足打法が生まれたきっかけは、王貞治氏の癖にありました。
王貞治氏はバックスイングに入る始動が遅く、タイミングが合わないでいました。その時、当時の荒井コーチが一本足打法を提案し、いつでも打てる体制を作るため、一本足打法が採用されたと言われています。この一本足打法を会得した王貞治氏はホームランを量産。一気に才能が開花し世界記録のホームラン数を打つまでに成長しました。現役では見たことありませんが、王貞治氏の凄さは十分理解できます。

続いてタフィ・ローズ氏。
日本プロでの通算ホームラン数は464本で、外国人選手で唯一400本以上のホームランを記録している選手です。
このローズ氏もシーズン55本のホームランを記録しているんです。
それはローズ氏の日本プロ野球6年目の2001年のシーズンで、このシーズンは序盤からホームランを量産。達成が近づくにつれて相手投手から警戒され始め、フォアボールが増え始めてしまいましたが、9月24日の西武ライオンズ戦、当時のエースだった松坂大輔選手からホームランを放ち、55本のホームランのシーズンタイ記録を達成しました。
日本プロ野球生活でホームラン王4回、打点王3回など数々のタイトルを獲得した今でも語り継がれる助っ人外国人選手です。

続いてアレックス・カブレラ氏
日本プロプロ野球12年間でホームランを357本放ったホームランバッター。カブレラ氏が55本のホームランを放ったのは2年目の2002年。ローズ氏が達成した翌年での達成でした。
1年目からホームランを量産し、64試合で30本のホームランを放ち、プロ野球タイ記録を作ると、2002年の2年目には、腰痛の影響で戦線離脱するも復帰後から驚異的なペースでホームランを量産し、135試合目の10月2日に55本のホームランを達成しました。
このシーズン、カブレラ選手は123試合の出場にとどまりましたが、当時のシーズンホームランタイ記録に並びました。2試合で1本のホームランのペース。今で言うと約72本のペースです。かなり驚異な数字ですね。

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