社会問題まで発展した松井秀喜5打席連続敬遠

明徳義塾は1982年選抜で甲子園初出場。
その後も着々と、出場を重ね高知県の強豪校になりつつありました。
そんな明徳義塾が高校野球ファンのみならず、社会的にも関心が注がれる出来事が起きました。それが1992年夏の甲子園二回戦、対星稜戦の松井秀喜5打席連続敬遠でした。
のちに大打者へとなる松井秀喜選手に対して、警戒した明徳義塾サイドが、勝利に徹するべくとった策に、球場は大ブーイング。グラウンド内に物が投げ込まれる事態なった。
決してルールに則った策であり、間違った事はしていない。しかし、この出来事がスポーツニュース止まらず、新聞社会面、ニュース番組、ワイドショーでも取り上げられる社会問題に発展。賛否両論が巻き起こりました。
勝負に徹する明徳義塾・馬淵監督の執念。
これもある意味ひとつの明徳義塾が名門校である所以かもしれません。

名勝負!1998年準決勝・対横浜高校戦

高校野球の名場面で明徳義塾が挙げられるものとして、1998年夏の甲子園準決勝・対横浜戦は凄まじい試合でした。
8回表まで6-0と明徳義塾がリード。
横浜のエース松坂大輔は前日のPL学園戦で延長17回を投げきり、登板を回避し結果、リードしていました。
しかし、松坂が投球練習を開始すると球場のムードが一変ざわつき始め、そこから流れが変わります。8回裏に4点返され、9回表に松坂がマウンドに立ち0点で抑えると、完全に横浜ペースになり、9回裏3点奪われサヨナラ負けを喫しました。
負けた瞬間、守っていた選手全員が倒れ伏せる落ち込み様が、この試合にかける思いと、壮絶な結末を物語るものでした。

現在常連校として不動の名門地位を確立!その要因とは?

あの1998年の夏以降明徳義塾は7年連続出場を果たし、高知県でも不動の強さを誇っていました。
2002年には森岡良介を擁し、初の全国制覇を果たしました。
現在も2010年から7年連続で夏の甲子園出場中。
昨年夏はベスト4入りし、全国を轟かす名門校として君臨しています。
その強さの秘訣に、学校の環境があります。
写真の通り、明徳義塾のある場所は家もない山の中。
まさに陸の孤島の中で野球をやっているので、集中して野球に打ち込めるのです。
また、付属中学の野球部も強豪で、中学生のうちから寮生活を経験する選手たちなので、一際野球にかける思いと精神力が強いので、その点も強さの理由かもしれませんね。

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