太田幸司

青森県三沢高校野球部のエースとして1968年夏、1969年春・夏と阪神甲子園球場で行われた選抜高等学校野球大会・全国高等学校野球選手権大会に3大会連続出場。

3年の夏、1969年夏は、東北勢としては戦後初の決勝進出果たし、決勝戦は愛媛県松山商業対戦。延長18回(試合時間:4時間16分)を戦い抜いて0-0の引き分け再試合となり、高校野球史に残る死闘となりました。太田はこの試合を1人で投げ抜いたその投球数は262球に達しました。再試合も全イニングを投げ抜きましたが力尽き2-4で破れ準優勝となりましたが。2試合とも投げ抜いた太田に大きな感動を呼びました。

太田はアメリカ人の父と、日本人の母の混血ゆえ、薄茶色の髪に色白で端正な顔立ちの美少年で、選抜大会出場後から女性ファンが周囲に姿を見せる人気があり。さらにこの決勝戦の熱投も加わり、更に人気が過熱。「コーちゃん」という愛称で女子高生などに絶大な人気を呼びました。それ以前には特定の高校野球選手に社会現象に近いような形で女性ファンが集まったことはなく、太田はまさに「甲子園球児のアイドル」の元祖と呼べる存在でした。

荒木大輔

荒木大輔は早稲田実業1年生の夏からベンチ入り。東東京大会では2年生エースのの故障により・二松学舎大付との決勝では急遽先発を任されることとなり、荒木の堂々たる完投勝利により早実が10-4で快勝。チームを2年ぶりの夏の甲子園に導きました。

そして甲子園大会では全試合に先発し1年生ながら4完封、44回1/3連続無失点の大活躍。決勝戦では横浜高校に敗れるも準優勝に導く活躍を見せました。

この時の甲子園での大活躍に加え、端正かつ爽やかなルックスとが相まって中高生を中心とした幅広い女性ファンから絶大なる支持と人気を集め、以降、荒木が高校野球を引退するまで移動のバスや練習グラウンド、試合前後の球場内外を大勢の女性ファンが取り囲むという光景がこの時代の風物詩になるとともに一大ムーヴメントとなるほどでした。

この大会より早実は荒木が在学中の春夏甲子園大会に5季連続で出場。世間では「大輔」が新生児の人気名前ランキングの1位に上がるなど空前ともいえる「大ちゃんフィーバー」が社会現象として巻き起りました。後に平成の怪物として甲子園を沸かせた松坂大輔はまさに「大たちゃんフィーバー」の真っ只中に生まれ、荒木大輔から大輔を名を付けられたとされています。

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