ダイハード打線

ダイハード打線は、主に2001年~2003年の、福岡ダイエーホークスの打線の愛称です。
当時球団社長であった高塚猛が付けた名前である。ダイハードには「不死身」という意味があることから「何点取られても決して諦めない」という意味が込められ、また英語でダイハードの綴り(Die Hard)とダイエーホークスの綴り(Daiei Hawks)が似ていることから、「ダイハード打線」と命名しました。
この「ダイハード打線」の愛称は地元福岡のマスメディアを中心に使われたが、地元ですらあまり浸透していません。
この打線で、最も猛威を振るったシーズンが2003年のシーズンでした。
チーム打率は、あの「マシンガン打線」でおなじみ、1999年の横浜ベイスターズが作った打率記録を上回る.297を記録。パ・リーグの3割打者19人中6人をダイエー勢で占め、極め付けは井口資仁、松中信彦、城島健司、ペドロ・バルデスの4人が100打点以上を記録。1シーズンの同一球団の100打点4人達成は球界史上初の出来事で、「100打点カルテット」とも呼ばれていました。
また、この時の「ダイハード打線」を強く印象付けたのが、8月1日に行われた対オリックス戦で29-1で勝利を収めた試合でした。
この年の対オリックス戦はこの試合を含め20得点以上挙げた試合が4試合もあるほど差が歴然としてました。
チーム防御率5.95のプロ野球史上最低の投手陣のオリックスと、プロ野球史上最高の打撃陣のダイエー、あまりにも両者の実力がはっきり分かれたシーズンでした。

マリンガン打線

2005年の千葉ロッテマリーンズは、4番に中距離バッターのサブローを置き、「マシンガン打線」さながら、長打はないものの、繋ぎの打線がよく機能し31年ぶりのリーグ優勝を果たしました。これがマリーンズの名にかけて「マリンガン打線」と呼ばれてました。
特に阪神との日本シリーズでの「マリンガン打線」は驚異的で、全試合の点数が33-4で圧倒し、全勝で日本シリーズ制覇。
今なおプロ野球ファンの間でも語り草となっています。
そんな「マリンガン打線」の愛称は、実は2005年よりも前に呼ばれてたのです。
それは1999年頃、NHKの番組の中で野球解説者の石毛宏典が、球団名のマリーンズと、当時広く知られていた横浜ベイスターズの「マシンガン打線」とを掛けて命名したのが始まりとされてます。当時の両チームは、本塁打は少ないものの連打で繋ぐという点では共通していましたが、1998年に優勝した横浜ベイスターズに対して、千葉ロッテマリーンズは最下位であり、実力には大きな差があったため、この時期は「マリンガン打線」という愛称はあまり定着しませんでした。

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