エナジークエスト本社がある赤坂見附付近!?

主にスポーツクラブで発売中で好評のアップイーやダウンエフ、燃やしま専科のメーカーといえば、株式会社エナジークエスト。その本社があるのが東京都港区の赤坂見附周辺になります。最寄駅には東京メトロ銀座線の赤坂見附駅があり、その付近にはホテルニューオータニや衆議院議長公邸、参議院議長公邸があったり、山王日枝神社や豊川稲荷東京別院、赤坂御所があったり、更にマニアックなものを引き出せば、維新の三傑の1人・大久保利通が暗殺された紀尾井坂や維新の立役者・坂本龍馬を歴史人へと押し上げた人物・勝海舟の旧居も赤坂見附と、歴史もそして現在の日本を支えている重要な政府機関もある場所なんですね。

そもそも赤坂とは!?その由来は !?

「赤坂」の地名の由来は、その昔、現在の赤坂離宮(旧・紀伊徳川屋敷跡)のある高台で、茜が多く取れたことから茜山と呼ばれ、その坂を茜坂(赤根坂)と言っていました。その「あかねさか」の音が詰まって「あかさか」になり、付近一帯を赤坂と呼ぶようになったと言われています。
赤坂の本格的な始まりは徳川家康が江戸幕府を江戸に開いたことからが始まりとされています。。江戸城の造営に際し、江戸城の西に位置する赤坂台地に紀伊徳川家(現在の赤坂離宮・迎賓館周辺)をはじめ、旗本や大名を配置して江戸城西の守りを固めました。低地を流れる川は江戸城外堀として整備し、溜池は一時、江戸の水瓶として利用されていました。その名残が現在も東京メトロ銀座線の赤坂見附の隣の駅・溜池山王でわかるように、「溜池」の地名として残っています。江戸城入り口に赤坂見附門が置かれ、門を出たすぐの坂下には幕下藩士、城内で働く職人方や庶民が住み、坂の上の高台は大名や旗本の屋敷町となって、その形が現在にも受け継がれています。
赤坂には数えれば25以上もの坂があります。そして、坂の上と坂の下が赤坂の街の雰囲気を二分しています。坂の上は大きな高級マンションなどが建ち並ぶ高級住宅街(昔の大名屋敷)、坂の下は飲食店(江戸城内を錐揉みして働いていた城内では身分の低い人たちの屋敷)を中心とした商店街とビジネス街となっています。

近代国家を支えた重要な場所!

明治時代になると、大名、旗本は国許に帰り、代わりに新政府の役人や京都からの公家たちが大名や旗本屋敷の住人となりました。
また、長州毛利藩の中屋敷跡は、陸軍第一連隊(戦後は防衛庁、現在はミッドタウン)となり、松平安藝守の屋敷跡は近衛第三連隊(現在のTBS)となり、軍隊の町となったのです。昭和11年2月26日早朝に起きた2.26事件は赤坂の陸軍第一連隊、第三連隊(現在、国立新美術館)、近衛第三連隊から兵隊が出動しました。赤坂の花柳界が隆盛したのは明治に入ってからのことです。花柳界は料亭「中川」、「川崎」「千代新」などを中心に政財界の面々や映画スターたちで賑わい、かつては赤坂は明けることの知らない街へと変わり今に至るようです。

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