国技とは

①法令で定められている
1つはしっかりと法令で定められているパターンです。国家機関が法令などで「国技」と定め、特別の地位・待遇を与えます。

②法令の定めのないもの
歴史が古くその国の伝統文化と深い関わりがあるものや、競技人口が多いなどその国で愛されているもの、その国で発祥したものなど様々なとらえ方があります。
つまり、事実上国技とされているものです。

相撲の起源

相撲の起源は、「日本書紀」に記載されている紀元前23年(垂仁天皇7年)に、野見宿禰(のみのすくね)と當麻蹶速(たいまのけはや)が天皇の前で力比べをしたことが起源。
この戦いは、野見宿禰が相手を絶命するまで執拗に攻撃を加えていることから、相撲というよりは死闘をもって力比べをしたにすぎませんが、この2人が相撲の始祖とされています。
このあとに、相撲を取る人間は、地の邪気を祓い清める四股を踏む行為によって、神事と深くかかわっていきます。

武士の鍛錬として

相撲には神事としての歴史と、肉体の鍛錬のための歴史があります。肉体の鍛錬のための相撲は、792年(延暦11年)の健児(こんでい)の制から始まって、徴兵制を推し進めるため、相撲が選抜競技とされました。
武技として相撲を積極的に取り入れたのは、武士中心の社会へと変わった保元・平治の乱(1156・1159年)からになり、武士の実戦技術として相撲が根付いていきます。
武家として相撲を好んだのは源頼朝でした。源氏の守護神社である鶴岡八幡宮にたびたび相撲を奉納して上覧(天皇や将軍など身分の高い人がご覧になること)もしていました。
鎌倉時代以降は、相撲が余興という色合いからは離れていき、武家の鍛錬として受け継がれていったのです。ここから武家相撲が始まっていると言われています。武家相撲の場合は、余興というよりも、闘争心溢れる男らしいパワーを共有していたのでしょう。 戦国武将もことのほか相撲を好みました。
ことに織田信長は大変相撲を好んだことが知られています。上覧相撲はたびたび行なわれていましたが、大規模なものでは、安土城下に1,500人を集めた上覧相撲もありました。

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