毎年日本を厚く盛り上げてくれるプロ野球
今年も多くの選手が日本を盛り上げてくれるでしょう。

そんなプロ野球の長い歴史において、シーズン打率の歴代ランキングを調べてみました。
あんな選手やこんな選手などがトップ10にはいっていましたので、簡単に紹介していきたいと思います。
今回は第5位の発表です!

第5位 打率.3831 1951年 東急・大下 弘

赤バットの川上哲治・物干し竿の藤村富美男と並び終戦直後の日本球界を代表する存在の、青バットの大下弘さんが残した、打率.381が歴代5位の記録でした。

歴代5位の記録を残した打率は当時の最高記録でで首位打者獲得。
加えて26本のホームランを打ち本塁打王の二冠を獲得した。
同年のリーグ2位は蔭山和夫の打率.31463であり、リーグ2位との打率差.068543は日本プロ野球歴代1位の記録です。

これだけのハイアベレージを残しているので、ヒットメーカー的な選手なのかと思ったんですが、そういうわけではなくどちらかと言えばホームランばったーだったようで、空前絶後の本塁打ブームが起こすほどで、当時のリーグを代表する打者であった川上哲治でさえも、本塁打狙いの打撃フォームに変えたほどだそいです。
当時は強いゴロがバッティングの理想論とされたいたなかで、大下さんのの登場は革命的であったようです。

青バットの由来

青バットの大下
この青バットの由来ですが、1947年のシーズンからバットに青のラッカーを塗装し青バットでうっていたからです。

この青バットで本塁打を連発し、赤バットの川上哲治と共に大ブームを起こす。
1947年シーズンは首位打者と本塁打王の二冠を獲得する。

青バットは川上の「赤バット」に対抗する意味で青い色のスプレーで自分自身が染めていたが、バットの木の色が透けて見え、緑色に近く見えたようです。

また、塗り方がよくなかったため、ボールに塗料がついてしまい、審判側から苦情が来たため使用を中止させられた為、青バットを使用したのはわずか1年ということになりますが、印象が強かったので『青バットの大下』と後世まで語り継がれることになったんでしょうね。

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