毎年日本を厚く盛り上げてくれるプロ野球
今年も多くの選手が日本を盛り上げてくれるでしょう。

そんなプロ野球の長い歴史において、シーズン打率の歴代ランキングを調べてみました。
あんな選手やこんな選手などがトップ10にはいっていましたので、簡単に紹介していきたいと思います。
今回は第9位からの発表です!

第9位 打率.376 1936年秋季 名古屋軍 中根 之

日本プロ野球では当初、打率こそが打者を評価する最大の指標と考えられており、打率1位選手が打撃王(だげきおう)として表彰されていました。
その後、打率、本塁打、打点の3部門が打者の打撃能力の指標として定着し、打率1位選手を指す表現は「首位打者」に変化しました。

その始まりが1936年秋季リーグからとなり、中根選手がプロ野球初の首位打者に輝いた時の打率が、歴代9位となる0.376となっていました。
そしてこの首位打者が、日本のプロ野球の歴史において3人しかいない、「本塁打0本の首位打者」です。
(他の2名は岡村俊昭・正田耕三)

引退後はコーチ。そして審判に転身

引退後は、1952年に毎日オリオンズの二軍コーチ。
翌1953年には二軍監督に昇格し、1955年の時点では養成主任として二軍コーチに戻っています。

のち、パシフィック・リーグでプロ野球審判員を務めた。
二出川延明が「俺がルールブックだ」という発言をしたとされる試合において、そのきっかけになったジャッジをしたのが中根である。

1963年8月、近鉄のジャック・ブルームに対する判定(退場を宣告)をめぐり、近鉄ファンを名乗る人物からの脅迫状が届く。
中根はリーグ幹部と相談して休養を取り、そのまま審判を辞任されました。

ここで歴代10位の打率を残した近鉄のブルースとの絡みが出てくるのも、何かの縁というのかもわかりませんね。

関連するまとめ

記憶にも記録にも残る 巨人の助っ人【ガルベス】

先発として活躍し、打撃でも在籍5年間で10本の本塁打を放ったガルベス

過去のプロ野球珍記録集①

プロ野球のキャンプ珍記録を紹介します。

関連するキーワード