富士山-信仰の対象と芸術の源泉(静岡・山梨)

日本の象徴である富士山は、村落と木々に囲まれた海と湖に囲まれ、冬にはその山頂に雪を冠し、人々を魅了してきました。
その姿は、葛飾北斎の富嶽三十六景に代表される数々の芸術家や詩人を感化し、何世紀もの間巡礼の対象となり、かつ孤高の存在であり続けました。

富士山は標高3776mの独立した成層火山であり、東京の南西約100㎞に位置し、南山麓のふもとは駿河湾の海岸にまで広がっています。

富士山の荘厳な姿と、断続的な火山活動により生まれる畏怖の念は、神道と仏教、人と自然、象徴的な死と再生、登山道・神社・ふもとの御師宿として様式化された参拝のための登頂と下山を結びつける宗教的な慣習へと変化していきました。

また、きれいな円錐形でその先端が雪に覆われた富士山の姿は、19世紀初期の画家が富士山を絵画などで表現するよう鼓舞し、文化の違いを超えて富士山を世界的に有名にし、西洋芸術にも大きな影響を与えました。

古来より、長い杖を持った巡礼者が浅間神社の境内から出発し、神道の神である浅間大神の居処とされた頂上の噴火口に到達しました。
そこで彼らは「お鉢巡り」と呼ばれる修行を噴火口の壁に沿って行っていました。
これらの巡礼者は、山岳修道僧に導かれる巡礼者と、江戸時代に繁栄した富士講に所属している巡礼者という2つのタイプに分かれており、
17世紀以降は富士講に所属する巡礼者の方が多数でした。

18世紀以降は巡礼がより大衆化したため、巡礼者のニーズを支援する組織が設けられ、登山道が整備され、山小屋が準備され、神社や仏教施設も建設されました。
噴火の溶岩流により形成されたふもとの特異な火山地形は聖地として崇められるようになり、湖や泉は「水垢離」と呼ばれる、巡礼者が登山の前に身を清める沐浴のために利用されました。
「八海廻り」と呼ばれる、富士五湖の5つの湖を含む合計8つの湖を巡る修行は、多くの富士講巡礼者にとっての儀式となりました。
彼らはふもとの草原やその上域の森林、さらに標高が高い草木のない頂上という3つの区域を定め、これらの区域を通過し、登山を行いました。

14世紀以降、多くの富士山に関する絵画が芸術家により描かれ、17世紀から19世紀には絵画だけでなく、文学、庭園、その他の工芸においても富士山の姿が重要なモチーフとなりました。
特に、葛飾北斎の「富嶽三十六景」等の木版画は、19世紀の西洋芸術に多大な影響を与え、富士山の姿を「東洋」の日本の象徴として広く知れ渡らせました。
連続性のある資産は、山頂部、その下の斜面に広がる神社、御師宿及び泉、溶岩樹型、砂浜の松の木から成る崇拝対象の一連の自然事象によって構成されています。
これらの資産は、富士山への宗教的崇拝の優れた証拠を共に形成し、芸術家によって描かれたその美しさが西洋芸術の発展にもたらした重大な影響を示しています。

白川郷・五箇山の合掌造り集落(岐阜・富山)

白川郷・五箇山の合掌造り集落に建つ合掌造りの家は、日本の建築物の中でも希少な建築物です。

本州中部地方の険しく高い山に囲まれた渓谷に位置する3つの村は、人口が多い都市部から隔絶され、孤立していたため、長い間その地域を訪れるには難しい地方でした。
「白川郷・五箇山の合掌造り集落」は、そんな人里離れた山奥にある白川郷の荻町集落、五箇山の相倉集落・菅沼集落の各集落から構成され、岐阜県及び富山県の庄川に沿って位置します。

都市部から隔絶された地理的及び社会的な背景により、この特殊な住居の形は発展を遂げました。
希少な合掌造り家屋の独特な形状は、特に桑の木の栽培及び養蚕に関わる自然環境及びその土地特有の社会的、経済的状況に適応した非常に合理的な構造系となっています。
幕末から昭和初期にかけては、養蚕業がこの地域を支える主な産業で、合掌造りの形状によって、屋根裏に養蚕用の作業場を確保することができるよう工夫された建造物なのです。

この大きな合掌造り家屋は急勾配の藁ぶき屋根を持ち、関連した景観をそのままに保つために必要な多くの周辺の建築物と共に今日まで集団で保存されてきており、これが世界遺産登録の決め手となっています。

古都京都の文化財(京都)

古都京都の文化財は、京都府京都市、宇治市及び滋賀県大津市に位置する17の構成資産より構成されています。

西暦794年に古代中国「唐」の首都「長安城」に倣って、京都に平安京が建設されました。
その後、19世紀半ばまで首都・皇都として機能する傍ら、文化の中心としても栄え、1000年以上の間、特に宗教建築における日本の木造建築の発展に大きな影響を与え、日本庭園の芸術性にも大きなかかわりがあり、世界中の造園にも影響を与えてきました。

世界文化遺産である「古都京都の文化財」の構成資産である198の建物と12の庭園かならなる17構成資産は、大部分が10世紀から17世紀の間に建造および設計されたとされています。
登録遺産である17の施設のうち、二条城を除く全ての施設が宗教的な建造物です。
世界遺産としての登録範囲は全体で1056ヘクタールに及び、その周囲を3579ヘクタールの緩衝地帯が取り巻いています。

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