井口資仁〜千葉ロッテマリーンズ〜

井口資仁
千葉ロッテマリーンズ

1996年のドラフトで青山学院大学を経てソフトバンクホークス(当時福岡ダイエーホークス)に1位入団。大学通算成績は101試合に出場し、打率,281、24ホームラン、61打点という素晴らしい成績を残し、各球団から注目を受けていましたが、福岡ダイエーホークスが逆指名という形で井口氏を獲得しました。東都大学通算24ホームランという記録は未だ破られていないリーグ記録でもあります。
プロ野球17年間で、盗塁王2回、ベストナイン3回などさまざまなタイトルを獲得し、福岡ダイエーホークスの全盛期を支えた中心選手でした。当時の福岡ダイエーホークスは現在のソフトバンクホークス同様、圧倒的な強さを誇っており、シーズン100打点を記録した選手が4人もいたほどの破壊力を誇っていました。(その4人の中に井口氏はいます。)
メジャーリーグでもプレイしており、2005年のホワイトソックス在籍時にワールドシリーズに出場し、見事チャンピオンリングを獲得しました。
日米通算21年間で2000本安打も達成しているまさにレジェンド。引退試合での勝利を呼ぶ同点ホームランは伝説ですね。
来シーズンから千葉ロッテマリーンズの監督に就任する井口氏。低迷しているチームの指揮に期待ですね。

相川亮二〜東京読売ジャイアンツ〜

相川亮二
東京読売ジャイアンツ

1994年のドラフトで東京学館高等学校を経てDeNAベイスターズ(当時横浜ベイスターズ)に5位入団。高校時代は2年の冬から強肩を買われ、捕手に転向。肩の強さと、バッティングセンスが買われ、捕手経験4ヶ月程度であったが、プロの目に留まりプロ野球の世界に飛び込みました。
ベイスターズ時代には、アテネオリンピックの選手に選出や、WBC日本代表にも選出され、プロ野球を代表する捕手として活躍。2008年オフに海外FAを行使して、メジャー挑戦を目指しましたが、契約がまとまらず、ヤクルトスワローズにFA移籍しました。
移籍後からヤクルトスワローズの正捕手としてチームに貢献。2013年時にもWBC日本代表に選出されました。2014年に再度FAを行使し、出場機会を求め、ジャイアンツに移籍し活躍していましたが、同年7月28日に手首を骨折してしまい、その後、小林誠司選手にレギュラーを取られてしまい、今シーズン引退を決意しました。
目立ったタイトルは受賞できませんでしたが、WBCに選出されるなど、ベイスターズ、ヤクルトスワローズの一時代を築いて選手だったことには変わりはありませんね。

片岡治大

片岡治大
東京読売ジャイアンツ

2004年のドラフトで東京ガスを経て西武ライオンズに3位入団。
2005年の5月1日に初のスタメン出場を果たすと、そのまま1軍に定着。2006年のシーズンにはセカンドのレギュラーを奪うと、打率,292を残しチームの顔に成長しました。盗塁王を4回獲得しており、俊足の印象が強い片岡氏ですが、実はほかの選手に比べて足はそこまで速くはなかったんです。盗塁成功率を上げるべく、さまざまなトレーニングを行い、盗塁技術を上げる努力をし、盗塁を成功させていたと言われています。
怪我にも悩まされた選手でしたが、長年、西武ライオンズのセカンドのレギュラーを守りきり、2013年のシーズン終了後、FA宣言をし、ジャイアンツに移籍しました。
2014年のシーズンには126試合に出場し、規定打席にも達し、久々ジャイアンツのセカンドのレギュラーが固定できたかと思われた矢先、その後、怪我や不振に陥り、1軍を行ったり来たりの生活に。その後、再度怪我にも悩まされて、2017年の9月30日に引退を決意。
来シーズンからはジャイアンツの2軍内野守備走塁コーチに任命されています。

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社会人野球の東京ガスに進み、03年に晴れて自由獲得枠で巨人入りを果たしました。