ソフトバンクホークスの往年のスター選手
ソフトバンクホークスの往年のスター選手を紹介します。
野村克也
【野村克也】
1954年から1980年のプロ24年間で、MVP5回、首位打者1回、8年連続を含むホームラン王9回、打点王7回など数々のタイトルを獲得し、1965年には戦後初の3冠王を獲得した「ノムさん」という愛称で親しまれている球界のレジェンド。
1954年から1977年まで、南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)に所属。
通算試合出場数、通算ホームラン、安打、打点、得点数歴代2位の成績で、いずれもパリーグ歴代1位の記録。歴代最強の捕手。
監督としても、南海ホークス、ヤクルト、阪神、楽天と24年間指揮を取り、1位5回、日本一3回。
選手、監督時代は、勝つために様々な分析、駆け引きを用い、野球技術、野球の発展に貢献している名選手であり、名監督である。
門田博光
【門田博光】
1970年から1992年のプロ23年間で、MVP1回、ホームラン王3回、打点王2回など様々なタイトルを獲得した名選手。
通算ホームラン数567本、打点数1678点はいずれも歴代3位の記録。
ホームランに強いこだわりを持っており、フルスイングをする門田氏と、当時監督を務めていた野村克也氏が、その件について揉めていたのではという逸話がある。
ホームランという印象が強い選手ではあるが、ミート力にも定評があり、ホームラン狙いのフルスイングをやめれば4割打てると言わしめるほどのセンスを備え持っていました。
背番号は「44」
当時にしては珍しい名選手の大きな背番号でしたが、メジャーリーガーのハンクアーロン選手などが付けていた背番号であり、門田氏の母親が44歳という若さで亡くなったという供養の意味で「44」という背番号を付け、44本のホームランを目標にしていた。
1981年に44本のホームランを放ち、ホームラン王を獲得すると、次は60本のホームランを目標にすべく、背番号を「60」に変更したというエピソードがある。
生涯、ホームランに夢とロマンを持っていた名選手です。
松中信彦
【松中信彦】
1997年から2015年までのプロ19年間で、MVP2回首位打者2回、ホームラン王2回、打点王3回など様々なタイトルを獲得した名選手。
2004年には、打率,358、ホームラン44本、打点120点で平成唯一の3冠王を獲得。
ボールに当てる際、利き手を押し込むバッティングをし、ヒットとホームランを量産。ボールの下を叩くことにより、逆スピンの回転を付け、飛距離のある打球を飛ばしていた。
2001年には、西武ライオンズに所属していた速球派ピッチャー、松坂大輔氏からバットを折りながらホームランを放ったエピソードがある。
また、ミート力にも長けており、三振数も少なく、シーズン100三振以上は1度もない。
平成、21世紀で唯一の3冠王達成選手です。
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