部員11名で成し遂げた選抜準優勝の「さわやかイレブン」

池田高校は名将・蔦文也監督が率いて、守備重視の野球が主流だった高校野球に、金属バットの特性を生かして打撃重視の指導を施し、強打の「やまびこ打線」で、80年代の高校野球界を席巻させた徳島県の名門校でした。

蔦監督が池田高校を率いたのは1952年から。
当時の野球部には、戦後の物不足の影響もありボールが3個とバットも2本しかなかったほどの粗末な環境でした。
それでも猛練習で県大会上位に食い込むようになりました。
長い間母校・徳島商の厚い壁に跳ね返され続けたが、1971年夏の第53回全国選手権にて、池田高校は甲子園初出場を果たしました。
そして1974年に選抜高校野球初出場し準優勝。しかもこの準優勝はすごい事に部員11名だけで試合をするにもギリギリの人数での快挙
この人数なので、当然戦前の予想では注目されてませんでしたが、ところが戦ってみれば、あれよあれよと勝ち上がり、決勝まで勝ち上がる快進撃を遂げました。
決勝戦では名門・報徳学園に惜敗するも、11人で勝ち上がった姿に、マスコミやファンからは「さわやかイレブン」と称し、喝采を浴びました。

この準優勝から、その後の池田高校伝説に繋がるのです。

高校野球を席巻した「やまびこ打線」

池田高校は80年代まさに黄金期を迎えていました。
1982年夏、1983年春の史上4校目となる夏春連覇を達成。さらに86年春にも優勝を果たしま、実に3回の優勝を果たしました。

この池田が黄金期を迎えたその強さの秘訣は、鋭い打球が自慢のパワー野球で、対戦相手を次々にねじ伏せる超攻撃野球でした。芯を少々外していても筋力があれば打球を飛ばせる金属バットの特性を最大限に生かすため、当時では珍しかった筋力トレーニングを積極的に行い強力打線を作り上げ、「やまびこ打線」というニックネームが付くほどの異名を持ちました。
守り重視の野球が多かった時代、池田高校の規格外な野球は、以後の高校野球のスタイルを変えたものだった。鋭い打球が自慢のパワー野球で、対戦相手を次々にねじ伏せその攻撃力と、蔦の強烈なキャラクターから「攻めダルマ」と畏れられていた。

その愛称から強気な性格が連想されるが、実際の蔦監督はものすごく臆病な性格で、初めて甲子園に出場するまでは3点リードされていても「もうダメじゃ。帰り支度や」と試合を捨てることもあったといわれています。

やまびこ打線を再び・・・

蔦監督は1992年に勇退。
そして1992年の夏の甲子園出場を最後に、夏の甲子園出場から遠ざかっています。
しかし2014年春には27年ぶり春の選抜に出場を果たすなど、まだ徳島県内では上位に食い込む力を持っています。
再び夏の舞台で「やまびこ打線」が復活する日も近いかもしれませんね。

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