プロ野球背番号列伝第三弾。今回は『42』です。
日本的には、縁起のあまり良くない数字ですが、外人選手には人気の番号です。その理由はなぜでしょうか。
今回は違った目線での背番号列伝です。

メジャーでは誰もつけれない『42』

メジャーリーグでは現在『42』の背番号は、どんなけ凄い選手でも付ける事はできません。
この『42』は、全チームでの永久欠番となっているからです。
各チームに『42』を付けた名プレイヤーがいたというわけではなく、ある1人の選手の偉大な功績を称え、全チームが『42』を永久欠番にしているのです。
その選手がジャッキー・ロビンソンです。

ジャッキー・ロビンソン

ジャッキー・ロビンソンはキング牧師がリンカーン記念堂の前で有名な“I Have a Dream”(私には夢がある)の人種差別撤廃の演説(1963年)をする実に16年前の、1947年に当時白人選手だけで構成されていた400人のメジャーリーガーの中で、たったひとりの黒人選手として契約を結んだ、メジャーリーガー初の黒人選手なのです。

ジャッキー・ロビンソンを起用した当時ドジャースのGMを務めていたブランチ・リッキーと、「どんなに嫌がらせを受けたとしても、何にも屈せず、やり返さない勇気を持つ」ことを約束し、白人選手以外に開かれることのなかったメジャーリーグ界の堅牢な門戸をこじあけた選手なのです。

そんなジャッキー・ロビンソンの偉業と功績は讃えられ、彼のメジャーデビュー50年目にあたる1997年4月15日に、メジャーリーグで唯一、彼が現役時代に背負った「42」が全球団共通の永久欠番となりました。
さらに毎年4月15日は“ジャッキー・ロビンソン・デー”と制定され、メジャーリーガー全員が「42」を背負い、彼への敬意を表している。

永久欠番後にも『42』を付けていたメジャーリーガー

全チームが『42』を永久欠番とした後も、『42』を引退まで付け続けたメジャーリーガーもいます。
それが日本でも馴染み深い、ニューヨーク・ヤンキースで活躍した、マリアーノ・リベラ投手です。

『42』を永久欠番と制定した1997年。すでに『42』を背負っていたヤンキースのマリアーノ・リベラ投手だけは、引き続き『42』を背負うことを許されてました。
通算5度のワールドシリーズ制覇を果たしており、メジャー史に残る、抑えの投手です。『42』を付けていなければ、リベラ投手の背番号はヤンキースの永久欠番となっていたのは、間違いないくらいの凄い投手です。
ツーシームが半端ないです。お化けです。

『42』を背負った助っ人プレイヤー

これらの理由で、外人選手には『42』の背番号はとても人気です。
『42』を背負った活躍された、助っ人プレイヤーでいえば、中日・横浜で活躍したブランコ選手や、西武で55本のホームランを打ったカブレラ選手。広島で活躍後メジャーでも好成績をのこしているバリントン選手ですね。
ここ数年は、『42』で助っ人で大活躍した選手がいませんが、今シーズンの『42』の助っ人の活躍にきたしたいですね。

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