1974年 池田高校(徳島)さわやかイレブン

池田高校と言えば、名将・蔦文也監督が率いて、守備重視の野球が主流だった高校野球に、金属バットの特性を生かして打撃重視の指導を施し、強打の「やまびこ打線」で、80年代の高校野球界を席巻させた名門校。

しかし、1974年に選抜高校野球初出場した当時は、徳島の山奥にある普通の高校。部員はたったの11人と、試合をするにもギリギリの人数でした。
当然戦前の予想では注目されてませんでした。
ところが戦ってみれば、あれよあれよと勝ち上がり、決勝まで勝ち上がる快進撃を遂げました。
決勝戦では名門・報徳学園に惜敗するも、11人で勝ち上がった姿に、マスコミやファンからは「さわやかイレブン」と称し、喝采を浴びました。

この準優勝から、その後の池田高校伝説に繋がります。

1977年 中村高校(高知)二十四の瞳

球春譜・「24の瞳」中村 快進撃 - YouTube

出典:YouTube

「さわやかイレブン」から3年後、再び同じ四国の高校から12人に少人数でセンバツに挑むチームが登場しました。
それが高知県の中村高校でした。
大型右腕・山沖之彦(のちに阪急)を擁して、田舎の高校が並み居る強豪校に勝ち、準優勝を成し遂げました。
メンバー12人という事もあり、名作映画と同じ「二十四の瞳」と称されました。

1986年 新湊高校(富山)新湊旋風

球春譜・新湊旋風 - YouTube

出典:YouTube

当時の富山県勢の高校野球のレベルは低く、春夏通じてベスト8が最高でした。
当時に新湊高校がセンバツ出場するのも富山県勢として実に16年ぶりでした。

秋季北信越大会準優勝であった新湊高校は出場校中打率最下位で、大会前は注目を浴びることはありませんでした。

しかし大会が始まると、初戦でプロ注目の近藤真一(後に中日入りし、デビュー戦ノーヒットノーランを成し遂げる)擁し優勝候補の享栄高校を下し、2回戦もこれまた優勝候補の拓大紅陵も下すなど、次々番狂わせを起こし、富山県勢最高位のベスト4進出を果たしました。

新湊市民がこぞって甲子園に集結し、アルプスで大応援する姿が話題になりました。


色んなドラマが生まれる高校野球。この先この三校のような奇跡の戦いぶりを見せる高校が出てくるか注目です!

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