怪我に悩まされたプロ野球選手②
怪我に悩まされたプロ野球選手を紹介していきます。
赤星憲広 〜阪神タイガース〜
赤星憲広
彗星の如く現れた阪神タイガースのリードオフマン、赤星憲広氏。
2000年のドラフトで阪神タイガースに4位で入団し、ルーキーイヤーから開幕一軍の座を掴み、1年目から128試合に出場し、打率,292と大活躍。盗塁数は39個入団1年目から盗塁王を獲得し、それから5年連続で盗塁王のタイトルを獲得した韋駄天男として活躍し、阪神タイガースの中心選手にまで成長しました。
しかし、2006年のシーズンから頸部に違和感を覚えるようになり、2007年に椎間板ヘルニアの診断を受けてしまいました。その後、痛みを押し、試合に出場し続け、2007年のシーズンには通算300盗塁と球団史上最速となる7年目での1,000安打を達成。2008年には球団記録に並ぶ350盗塁を記録し、打率も自己最高となる,317をマークするなど阪神タイガースに欠かせない選手となりました。
しかし、2009年のシーズンは、持病のヘルニアに苦しみ、オープン戦には痛み止めを打って出場するほどにまで悪化。
シーズン途中に自ら登録抹消を球団に申し出て、復帰後も痛み止めを打ちながら強行で出場していました。
そして、同年の9月のベイスターズ戦で、ダイビングキャッチを試みた際に、ヘルニアが悪化するとともに、中心性脊髄損傷の診断も下されてしまいました。
赤星氏はまだ野球がやりたいという意思はあり、懸命なリハビリを行なっていましたが、球団から大きなリスクを負ってまで契約できないと通告されてしまいました。その後、同年の12月に引退を発表しました。
プロ生活はわずか9年で、生涯成績は、打率,295、盗塁数、281、安打数1,276本という素晴らしい成績を残したまさに怪我に泣かされた名選手です。
現在、41歳の赤星氏。もしヘルニアになっていなければ、2,000本安打はもちろん、通算500盗塁硬いと言われていました。
吉村禎章 〜ジャイアンツ〜
吉村禎章
プロ野球選手で大怪我をした選手と言って想像する選手の1人として、この吉村禎章氏を思い出す方も少なくないと思います。
吉村禎章氏は、1981年のドラフトでジャイアンツに3位入団した選手で、ポジションは外野手。
入団当時からたぐいまれなるバッティングセンスと、俊足を武器に入団1年目から活躍し、駒田徳広氏、槙原寛己氏とともに背番号にちなんで50番トリオと呼ばれ親しまれていました。
1984年のシーズンからレギュラーに定着し、ヒットを量産。打率も3割を残し、二桁ホームランを放つなどジャイアンツの中心選手にまで成長しました。
しかし、1988年の7月の中日ドラゴンズ戦で、フライを補給した際、レフトを守っていた栄村氏と衝突し左膝の4本の靭帯のうち3本を完全に切断し、神経まで損傷してしまうという交通事故レベルの大怪我を負ってしまいました。その後、壮絶なリハビリ生活を余儀なくされ、2度の手術を経験し、順調に回復していきました。
1989年の9月に代打として復帰した際は、スタンドから大声援が送られました。
その後は代打を中心として活躍していましたが、大怪我の損傷も大きく、1998年に引退を決意しました。
17年のプロ生活で、1349試合に出場し、通算打率,296、ホームラン数は149本。150ホームランまで残り1本という悔しいプロ生活で幕をおろしました。
もし、あの大怪我がなければ、3番吉村禎章氏、4番松井秀喜氏、5番高橋由伸氏という超攻撃的なクリンナップを組めていたでしょうし、通算ホームラン数も300本は言っていたのではないかと言われています。
ジャイアンツ史上に残る怪我に泣かされたプロ野球選手の1人ではないでしょうか。
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