どの球団にも永久欠番ではなくても空きの背番号というのは存在しています。
何故?それは以前に付けいていた選手が偉大すぎて、その選手が引退したにもかかわらず、その番号を背負うのを臆してしまう、荷が重すぎるという意味ということと思います。
サッカーの本田圭佑選手のように、世界的にも超ビッグクラブのACミランに入団した際に受けた背番号は「10」。過去に付けていた選手をみてみると、フリット、サヴィチェビッチ、
ボバン、ルイコスタなどなど、世界にその名を馳せた名選手ばかりで、野球ファンの私でも知っているその存在たちです。そんな番号を渡された本田圭佑選手は「こんなチャンスは他にはないでしょう。付けていいっというならつけますよ」と彼らしい強気な発言で我々を圧倒してくれました。彼のように自信もあり実力も世界で通用する選手だからこそ言えた発言や行動と思いますが、誰しもがそうとはいかないですよね。
その空き背番号に勇気を持って手にし背負ったのが、中日ドラゴンズの高橋周平選手の「背番号3」です。以前は、名門・PL学園から入団した以降、引退するまで背番号3を背負っていたMr.ドラゴンズの立浪和義選手が付けていた番号です。

Mr.ドラゴンズ!立浪和義とは

生まれ持つ野球センス 今ここで見せろ
気迫では負けはしない 立浪和義

1969年8月 大阪府吹田市生まれ。
中学生の時点で既に頭角を現しており、数ある強豪校から誘いを受けていたようです。
そんな中、桑田・清原のKKコンビがいるPL学園に入学。PL学園入学を決意した裏には、幼少期からの幼なじみの橋本清投手が先にPL学園へ入学が決まっていたことから、本人も憧れであったPL学園への入学を決意したようです。
高校野球部寮では桑田真澄さんと相部屋となったとのこと。また主将を務めた3年生時は、甲子園春夏連覇を達成。そのメンバーが凄いことに、野村弘樹、橋本清、片岡篤史、宮本慎也といったメンバーが揃っていました。後に、プロ野球へと進み各々活躍した名選手の当たり年だったことがわかります。

二塁打記録保持者

ドラフトでは、南海ホークスと中日ドラゴンズが1位指名で競合。見事引き当てたのが、当時・中日ドラゴンズの監督の星野仙一でした。ここから一気にスターダムへと駆け上がります。
まずは本職である遊撃手のレギュラー定着します。ただ単にレギュラーに定着したのではなく、前年度にベストナインに選ばれていた宇野勝を二塁手にコンバートさせてのレギュラー定着というかたちはまさに伝説です。リアルタイムで知っているこの事実、幼いながらにもその凄さが伝わってくる強烈な出来事でした。
そして応援歌が当時泣く子も黙る超絶な人気を誇っていた光GENJIのガラスの十代の替え歌が応援歌と、なんとも強烈なデビューの仕方をした選手でした。ちなみに、高卒ルーキーでスタメンのパ・リーグは炭谷銀仁朗、駿太、大谷翔平。セ・リーグでは立浪和義さんただ一人という凄さです。
入団1年目の成績は、打率こそ.223でしたが、中日ドラゴンズのリーグ優勝に貢献。見事、ゴールデングラブ賞を受賞しています。
そして何よりも中距離砲としいぇも大活躍された選手の一人で、二塁打に関しては歴代1位の487本も放っているんです。現役では、同じPL学園出身の松井稼頭央選手が10位の408本、20位の福浦選手が378本を放っていますが、到底追いつかない成績でしょう。
そして引退する年でも打率3割越えの記録を持って華々しく引退していきました。

その立浪和義さんが背負っていた背番号3を引き継いだ高橋周平選手には、まだまだ足元にも及ばない活躍のようです。下手したら、野球ファンでも知らない人もいるのでは?と思わせる選手。背番号3に恥じない活躍を期待したいです。

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