常総学院は木内監督が全てと言っても過言ではない存在

常総学院を語る上で、この人の存在が全てと言っても過言ではありません。
常総学院創部時からの監督である木内幸男氏です。

前任の取手二高で84年夏、清原和博・桑田真澄を擁したPL学園を決勝で破り優勝。
その後、野球部を新設に当たって常総学院から誘いを受け、85年に監督就任。
結果はすぐに出し、就任3年目の87年夏に、島田直也、仁志敏久を擁し準優勝。
その後も01年春、03年夏には優勝を果たし、常総学院を全国屈指の強豪校へ仕立てた名将です。

木内監督は猛練習で選手を鍛え上げその力で相手をねじ伏せていくことを目標している強豪が多いのに対して、木内は選手が自分の采配を理解してついていけるような状況判断やサインプレーなどいわゆる「野球の頭」を鍛えることを重点に置いています。
その采配は「木内マジック」と称され、熱狂的なファンは全国に多いです。
選手起用は独特で、先発投手は意表を付いたものが多く、選手の交代も激しいのも特徴です。
また、盗塁やスクイズのような機動力を駆使した采配も得意ですが、むしろそれ以上に傍から見ると無謀ともいえる強攻策を仕掛ける事も多いのも特徴です。
これは博打を打っているのではもちろんなく、自軍の打撃の勢いや相手の投手の調子を把握し試合状況的に「バントをさせに」棒球を投げてくることなどを読んだ上で仕掛けたりする。
このように木内は高校野球の監督として非常に異質であり、戦術の妙や試合の流れを読む能力という面ではプロ・アマを含めた野球界でもトップクラスとされるほどです。
プロで活躍した仁志敏久も、「木内監督以上に野球を知っている人はいない」という趣旨の発言をしている。見た目は豪快で無作法なキャラクターだが、野球に対しては非常に緻密で繊細であることは多くの関係者が証言しています。


選手をけなし倒して育てることでも有名で、「ダメなやつはいくら頑張ってもダメ」「やる気ないならやめちまえ」が口癖。もちろんこれは本心ではなく、そこで「ナニクソ」と反発心が生まれることを期待するもので、それまでのレギュラーをベンチメンバーから外し、甲子園大会の直前になって戻すという荒療治も時々行なっていました。

プロ野球で活躍したOBからもわかる木内イズム

常総学院のOBには30年ほどの歴史しかない野球部ですが、錚々たるメンツが揃っています。
巨人で90年代後半から00年代前半にかけて活躍した名セカンド・仁志敏久に、入団以来ファイターズ一筋・守備の名手・金子誠。
87年夏の準優勝時のエースで、後に横浜やヤクルト中継ぎ投手として活躍した島田直也がいます。

そしてこのメンツを見てプロで活躍した常総学院OBの特徴としては、いわゆる4番タイプやエースタイプがいないのがわかります。
それは木内監督がチーム作りがモロに影響されており、毎年チーム作りでも、基本的考えてやる野球をする選手しか使わない傾向が、いわゆるお山の大将タイプの選手がOBにいないという所以でもあります。

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