甲子園で勝つことが宿命

智辯和歌山野球部は1978年、学校開校と同時に野球部も創部。系列校の奈良智辯学園で指揮を執っていた高嶋仁監督の下、めきめきと力をつけ、1985年夏に甲子園初出場を果たします。そして1994年春の選抜で初優勝。1997年夏、2000年夏にも優勝を果たし、智辯和歌山は90年代〜00年代にかけて圧倒的な勝率誇る名門校として君臨していました。
特に2000年は打撃力は圧巻で、チームは当時の最高記録の.413、本塁打12、三塁打4、 二塁打16、打点53の記録を残しての優勝でした。
智辯和歌山は甲子園に出れば上位進出をする安定的な強さを誇ってますが、和歌山県大会では早々に敗れる事もしばしばあることも特徴です。
それはあくまで甲子園出場を目指すのでなく、全国制覇を目指す事を意識しているからです。指導方針として県大会直前に遠征を含めたオーバーワークスケジュールを意図的に組み、予選序盤は疲れがたまり、苦戦を強いられますが、県大会終盤になるとその疲れが抜け、実力が大きく発揮されます。その証拠に智弁和歌山は和歌山大会決勝戦では1987年(昭和62年)の決勝初進出・初優勝から2012年第94回大会決勝まで「夏の和歌山大会決勝戦無傷の20連勝」を記録しています。

少数精鋭の地元出身選手主体のチーム作り

智辯和歌山は強豪校ながら部員数は毎年30名前後の少数精鋭の部員数で戦っています。
これは部員全員にチャンスを与えやすい、目の届きやすい部員数の意味合いを込めて、毎年入部させる人数は10名と決めている為です。
さらに県外からの部員は各年2名のみと決めており、基本的には地元主体のチーム作りをしているのも特徴です。

魅力的な全校応援

智辯和歌山の特徴は野球面に留まらず、その応援も名物とされています。
県予選から全校生徒の応援を行い、その声量は相手校を圧倒させるものがあります。
応援で使う楽曲には、今では高校野球応援の定番にもなった「アフリカンシンフォニー」に元祖校としても有名です。
さらに曲がかかると得点に結びつき、相手校を震え上がらせる高校野球ファンの間では「魔曲」と言われている名曲「ジョクロック」などがあり、そのクオリティ高い応援を披露し、高校野球ファンを虜にし続けています。

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