ジョー・ペピートン(ヤクルト)

名門・ヤンキースなどで活躍し、メジャー通算219本塁打、ゴールドグラブ賞も受賞したバリバリのメジャーリーガー」という触れ込みで1973年のシーズン途中でヤクルトへ入団。
6月20日に来日し数試合出場するも、離婚裁判があるという理由で、シーズン途中で無断で帰国したり、試合でアキレス腱を痛めて欠場したと思えば、赤坂のディスコで朝まで踊り狂っているなど、練習にも仮病を使いサボるなどが問題行為が続いた。
実はヤクルトは彼の成績や受賞経歴だけを見て、素行や性格については全く調査をせず獲得に至っていたのだ。
当然、球団側も解雇したいところだったが、「成績が悪くとも途中で契約を解除できない」という内容の2年契約を結んでいたためで、2年目のシーズンも残留する事となり、これには当時のヤクルトファンからも怒りの声が続出した。
そして、2年目のシーズンが始まり、オープン戦が始まっても来日せず「3月までに来ないと解雇」と球団がアメリカのペピトーンに最後通牒を突きつけると、 あろうことか「犬の空輸費用を出せ」と吐き捨てる。勿論そんな費用は出せない。球団はペピトーンを任意引退扱いにして解雇に至った。
戦力的な問題だけでなく、1500ドル以上にのぼるアメリカへの長距離電話代と1000ドル以上の雑費の請求書を残しヤクルト球団がその支払いの肩代わりされ、無駄な負担まで負わされる事となった。

以上の事から、海の向こう、メジャーリーグ側にもペピトーンの日本での悪辣非道な所行は知れ渡り、日米野球関係の悪化を懸念する声も上がるほどった。

ヤクルトといえば、後にパリッシュ、ホージー、ラミレス、バレンティンなど、数多くの優良外国人助っ人を獲得してきたチームだが、そういったスカウティング能力は、ペピートンの失敗を糧に築き上げられたものと言える。

バール・スノー(日本ハム)

元マイナーリーガーで貿易会社社員として日本へ来日してたところ、1974年日本ハムの入団テストをお遊びのつもりで受け見事合格。
球団はもちろん投手として働いてくれるものと思い契約するも、初月給を受け取るとそのまま姿を消してしまう。
大騒ぎとなった球団は、散々探し回った挙げ句故郷アメリカに帰っている事が判明。本人はそもそも野球選手として働くつもりがなかったとのこと。

即刻契約解除を申請し、コミッショナー事務局から無期限失格処分(永久追放)が下された。

もはややってることは、ダメ外国人助っ人以上、完全なる詐欺師であった。

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