5月1日「メーデー」は労働者の祝日?!

5月1日は「メーデー」で、国際的な労働者の“祝日”です。祝日?実は日本では祝日にはなっていませんが、世界では各地で祝われている祝日なんだそうです。

日本では労働組合への参加率が低下していて、労働運動に対する社会の熱意も低いといえるので、メーデーと言っても馴染みが無い方がほとんどだと思います。いったいどんな日なんでしょうか?

労働者の国際的な祝日「メーデー」

労働者の国際的な祝日とされる「メーデー」。その始まりは、1886年、アメリカの「合衆国カナダ職能労働組合連盟」という労働団体が、5月1日に8時間労働を求めて約35万人の大規模なストライキを起こし、アメリカ各地でデモが行ったことにあります。

当時のアメリカの労働者は、1日の半分以上を低賃金で働かされるという過酷な労働環境にあったことが、このストライキの背景にはあり、「8時間は労働に、8時間は休息に、そして残りの8時間は自分たちのための自由な時間に」をスローガンに掲げ運動を行いました。ストライキの結果、18万人が要求を通して8時間労働制を獲得したと言われています。

さらに、1889年のパリで開かれた第2インターナショナル創立大会で、8時間労働制実施のデモを行うことが決議されると同時に、5月1日を労働運動の日に定めています。なお、第2インターナショナルには、ヨーロッパの約20カ国をはじめ、日本を含む数カ国の社会主義政党や労働団体が参加しており、世界各国にメーデーが広がったそうです。

日本では政治色が強いイメージの「メーデー」

日本での「メーデー」は、平民社という政治団体の主導によるものでした。平民社は、大逆事件で刑死した幸徳秋水が中心となって結成した団体で、この団体により、1920年に上野公園で第一回のメーデーが開かれました。

メーデーの起源となったアメリカでは、労働者が主体となったのに対し、日本のメーデーは政治団体によって労働者が組織化されたという点が異なるところとされています。先鋭的な政治団体が主導する労働運動は警戒心を呼ぶものとされ、また1917年のロシア革命でソビエトという社会主義国家が誕生していたことも相まって、1936年以降、メーデーは禁止されました。

メーデーが復活したのは11年経った敗戦後の1946年。慢性的な食糧不足にあえいでいた当時の日本の状況を映し出すように、メーデーでの決議には「食料人民管理、働けるだけ食わせろ」というものがあったそうです。そのほかにも「同一労働、同一賃金」や「働く母性を保護せよ」といった現代に通じるものもあれば、失業保険や失業手当についての法整備を求めるものなどもあったそうです。また、決議で真っ先に社会党首班の政府樹立せよとあったのは、戦前のメーデーと同じように政治色の強さを示すものだったと言えます。その後のメーデーも政治色を色濃く出すもので、1952年の5月1日にはデモ隊と警官隊の激しい衝突で、「血のメーデー」と呼ばれる死傷者が出る事件もおきています。このときのメーデーでは、サンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約が抗議の対象に入っていました。
現在ではそれぞれの労働組合が独自にメーデーを開き、かつてのように全国で統一したメーデーが行われることはなく、また暴力沙汰も見受けられなくなっています。しかし、政治色の強さは今もまだ変わらないようです。

この最初のメーデーからの政治色の強さが、日本では一般の人を遠ざける結果になり、労働組合の参加率も現在では低下していると考えられています。

日本の労働者の祝日は“勤労感謝の日”

メーデーを休日にする声はあったものの、日本には11月23日の“勤労感謝の日”があります。アメリカなどと同じくメーデーが休日ではないが、労働者の日の休日があるパターンになります。この勤労感謝の日の存在は、メーデーが休日にならなかった要因のひとつかもしれません。

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