1978年4月4日に『キャンディーズ』が解散。1980年9月1日には『ピンク・レディー』が解散宣言。更に『山口百恵』も1980年10月5日に芸能界引退するなど、70年代後半を支えていた女性トップアイドルたちは1980年前後に軒並み解散や引退していきました。
テレビ業界的には、1978年1月19日からザ・ベストテンが始まり、数多くのアイドルが出演することになりました。
80年代アイドルは、こんな時代のなか誕生していきました。

松田聖子

松田聖子は1980年代を代表するアイドル歌手。1980年に、「裸足の季節」でレコードデビュー。そのデビュー曲はCMタイアップで火が付き、すぐに続けざまにヒット曲を連発。
可愛らしい顔立ちと抜群の歌唱力で瞬く間にトップアイドルになった聖子ちゃんは、オリコンチャートで24作連続で首位を獲得するなど(1980年10月から1988年9月まで)、まさに1980年代を象徴するアイドルと言えます。
トレードマークであったヘアスタイルの聖子ちゃんカットが大流行しました。

小泉今日子

花の82年組と呼ばれるアイドルの一人キョンキョン。
1981年にオーディション番組スター誕生!に出場し合格。
1982年3月21日にシングル「私の16才」でアイドル歌手としてデビュー。キャッチフレーズは「微笑少女。君の笑顔が好きだ」。
そういえばこの時のアイドルにはキャッチフレーズが付いていましたね。
当時のアイドルは形にはまったお人形状態が普通だったのですが、キョンキョンはそのお人形で収まる器ではありませんでした。
歌やドラマで人気を博した彼女は、楽曲や衣装にも自らの意見を取り入れたり、賞レースや紅白出場も辞退するようになりました。
そしてファンをビックリさせたのが、当時流行してアイドルも一般人もこぞって取り入れていた、いわゆる聖子ちゃんカットからの刈り上げヘア。
でもそれが返って新鮮で『かっこいい』と評判になり、キョンキョン人気に拍車をかける事になりました。

中森明菜

中森明菜も1981年にスター誕生に出場し合格。
ワーナー・パイオニアとのレコード契約を締結。1982年にシングル「スローモーション」でデビューし、2枚目のシングル「少女A」がヒット。
デビュー当初は松田聖子と変わらない王道のアイドル路線でしたが、しばらくして松田聖子との差別化を図るようになり、ちょっと悪いイメージのクールなアイドル像を築き上げ松田聖子のライバル的存在にまで成長する。
数いる80年代アイドルの中でも圧倒的な歌唱力を誇り、レコード大賞を2年連続で獲得するなど、歌手としては松田聖子以上の功績を残すことになりました

この80年代のアイドルリアルタイムで見たり聴いたりしていて、それをきっかけに80年代後半のアイドルにはまりました。
この後に南野陽子、浅香唯、おニャン子クラブなどがデビューし、中学生の自分の心を
鷲掴みにされました。青春の思い出です。

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