高校時代控えから一流になった選手たち

プロ野球選手は子供の頃から、飛び抜けて上手かった。
エースで四番で、強豪校出身でといったイメージが強いです。
しかし、高校時代は控え選手だったが、後に成長しプロ入りした選手も多くいます。
そしてメジャーで大活躍する一流選手の中にも、控えだった選手はいます。

上原浩治【巨人→オリオールズ→レンジャーズ→レッドソックス】

大阪体育大からドラフト1位で巨人に入団。1年目で20勝を挙げ新人王獲得。00年代の巨人のエースとして君臨し、メジャー移籍後は抑えとして大活躍。2013年レッドソックスのワールドシリーズ優勝に貢献。ワールドシリーズのMVPも獲得した上原浩治選手。
野球ファンなら誰もが知る超一流選手ですが、高校時代はなんと控え選手。
当時のエースは、後に日本ハムに入団し活躍する建山義紀選手がいました。

大阪体育大受験失敗し、その悔しさから、浪人中に勉強とアルバイトとトレーニングを両立させ、大学入学後、久々に投球をしたら140キロを越す速球を投げれるようになったそうです。

黒田博樹【広島→ドジャース→ヤンキース→広島】

メジャーでは5年連続二桁勝利を記録し、名門ヤンキースのエースとして活躍。昨年、古巣広島東洋カープへ男気復帰を果たし、絶大な人気を誇る黒田選手も高校時代は控え投手でした。

黒田選手が通っていた上宮高校は、当時、大阪ではPL学園と並ぶ全国屈指の強豪校で、エースになるのも並大抵な事ではありませんでした。
そんな出場機会に恵まれない時でも、練習後に黙々と走り込んで、努力を続けていました。
その才能は専修大学進学後に開花しました。

甲子園に縁のない無名校でも控え選手だったプロ野球選手もいる

上記の上原選手、黒田選手のように、高校が強豪校だったり、エースが後にプロ入りしたと言ったケースは幾つかあります。

その他に代表的な高校時代控えだったプロ野球選手は、オリックスの平野佳寿選手(鳥羽)や巨人の澤村拓一選手(佐野日大)もいます。

しかし、中には甲子園に縁のない無名校でも控えだったプロ野球選手がいます。

又吉克樹【中日】

中日にドラフト2位で入団し、入団以来2年連続で60試合以上登板、侍JAPANの代表候補にもなった中日の中継ぎエースですが、高校時代は上位進出もない沖縄の西原高校出身。
しかも、最後の夏までベンチ入りすらギリギリの二塁手で、投手経験は打撃投手をやるくらいでした。
夏大前に投手陣の故障が相次いだ事がきっかけで投手としてメンバー入り。その当時の球速はMAX117キロだったようです。
環太平洋大学進学後サイドスローだった監督の指導の元、素質が開花。
一気に球速を140キロを越すまでに成長しました。

戸田亮【オリックス】

いたって普通な、もしくはへたっぴだと思っている球児にある意味夢を与える存在とも言えるのが、この戸田選手ではないでしょうか?

戸田選手は小学校時代は9人ギリギリの人数しかいない少年野球チームに所属。
中学の硬式野球チームでは控えの内野手で、用具係。
高校時代も上位進出もない高校で控え選手。公式戦には代打で5試合出場のみという全く実力のない選手でした。
しかし、大学進学の際、試合に出れそうだからという理由で、東京新大学2部リーグに所属していた高千穂大学へ進み運命が変わります。

高千穂大の監督が元プロの投手で、戸田選手の素質も見出し、投手転向させました。
すると主力投手に成長。
大学卒業後は社会人の名門・JR東日本へ進み、MAX152キロの速球を出せるほどまでに成長し、プロ入りを果たす事になりました。

このようにプロになれるチャンスは誰だってあります。いつどこで才能が見出されるかわかりません。自分の可能性を信じて球児の皆さんはプロを目指してみて下さい!

関連するまとめ

野球部の雨の日の練習

雨が降ると室内になるから、ランニングとダッシュが無くなる。 そんな事はありません。まず学校内をアップがてらラ…

千葉ロッテマリーンズの往年のスター選手

千葉ロッテマリーンズの往年のスター選手を紹介します。

関連するキーワード