みなさんは後楽園ホールに行ったことはありますか?。
名前を聞いたことはけど、実際に行った方は少ないのではないでしょうか。
よく後楽園ホールでは格闘技など行われているイメージですよね。
今回はそんな後楽園ホールの歴史を少しですが、
紹介したいと思います。

後楽園ホール

後楽園ホールは、東京都文京区後楽に所在する多目的ホールです。1962年4月16日に開館し、プロボクシング、プロレス、格闘技、コンサート、演劇、イベントなど、様々なイベントが開催されています。

後楽園ホールは、日本プロボクシング協会の本部が置かれていることもあり、日本プロボクシングの聖地として知られています。また、プロレス団体「新日本プロレス」のホームアリーナとしても有名です。

後楽園ホールは、収容人数16,000人となっており、日本最大級の多目的ホールです。また、音響や照明設備が充実しているため、様々なイベントに適したホールとなっています。

後楽園ホールは、日本を代表する多目的ホールであり、様々なイベントが開催されています。後楽園ホールで開催されるイベントを観戦することで、日本独特のエンターテイメントを体験することができます。

ボクシング

後楽園ホールは、日本プロボクシング協会の本部が置かれていることもあり、日本プロボクシングの聖地として知られています。1962年の開館以来、数多くの名勝負が繰り広げられてきました。

1963年5月1日、後楽園ホールで行われた、白井義男vs.エディ・ファルコ戦は、日本プロボクシング史上初の世界タイトルマッチでした。白井義男は、この試合で勝利し、日本初の世界チャンピオンとなりました。

1964年11月25日、後楽園ホールで行われた、ファイティング原田vs.エディ・ギボンズ戦は、日本プロボクシング史上初の東洋王座統一戦でした。ファイティング原田は、この試合で勝利し、東洋王座を統一しました。

1974年6月26日、後楽園ホールで行われた、輪島功一vs.バーニー・ロバーツ戦は、日本プロボクシング史上初の世界タイトル防衛戦でした。輪島功一は、この試合で勝利し、世界タイトルを防衛しました。

プロレス

後楽園ホールは、プロレス団体「新日本プロレス」のホームアリーナとしても有名です。新日本プロレスは、1972年に後楽園ホールで旗揚げ戦を開催しました。その後、後楽園ホールは、新日本プロレスのホームアリーナとして、数多くの試合が行われてきました。

1972年12月3日、後楽園ホールで行われた、アントニオ猪木vs.坂口征二戦は、新日本プロレスの旗揚げ戦でした。この試合は、新日本プロレスの歴史に残る名勝負となりました。

1974年4月23日、後楽園ホールで行われた、アントニオ猪木vs.タイガージェットシン戦は、新日本プロレスの「夢の対決」となりました。この試合は、新日本プロレスの人気を確立するきっかけとなりました。

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