マイケル・ジョーダン

もはや細かい説明不要。NBAで数々の伝説と功績を残した「バスケットボールの神様」マイケル・ジョーダンが、一度NBAを引退し、野球に転向、MLBに挑戦した事をご存知でしょうか?

1993年引退後の翌年、家族が住む地元シカゴのシカゴのホワイトソックスのキャンプに参加し、ホワイトソックスの傘下AA級バーミンガムに入団。

野球転向の理由として、バスケットで多くの栄光を得て、目標を失った事。そして亡くなった父の約束で、子供の頃のもう一つの夢を追うために挑戦したとされています。

18歳以来10年以上ぶりの野球。専門家はプロレベルの変化球を打つのは困難だろうと予測し、権威あるスポーツ誌のなかには「ジョーダン、諦めろ」と言う記事を掲載するほどでした。

その成績は特に春のうちは惨憺たるもので、最終的にも127試合の出場で打率2割0分2厘・11エラーとメジャーリーグに昇格することは出来ない成績でした。しかしジョーダンは一回り年下の選手たちに混じりバスで遠征先を周り、朝からバッティング練習を行うなど懸命に練習を重ねた。夏頃には初期に苦労した直球に対応し、続けて投げられるようになった変化球にも対応を見せ、ホームランを打つなど徐々に成績が上向いていました。数年続ければメジャーリーグに昇格するかもしれない成長ぶりだったとされています。

その後、翌年も、MLB目指して挑戦する予定でしたが、当時起こったMLBの選手ストライキもあって、野球を辞め、再びNBAに復帰する流れになりました。

飯島秀雄

日本でも一流アスリートの競技転向の例はあります。それが「ロケットスタート」の異名を取り、スタートの速さで頭角を表し、1964年6月26日、西ベルリンの国際陸上競技会で100m10秒1を記録。東京オリンピック、メキシコオリンピックに出場し、共に準決勝まで進んだ一流スプリンター・飯島秀雄がそうでした。

オリンピックの後は、「足を生かした仕事をしたい」と考えていたところ、知人から東京オリオンズの永田雅一オーナーに話がつながり、永田の肝煎りで、代走要員として、1968年のドラフト9位でオリオンズに指名され入団。
球団は話題性を考え、契約時に5000万円の保険を足にかけるほどでした

当時のロッテは客の不入りに苦しんでいましたが、「世界初の代走専門選手」である飯島のデビュー戦には通常の4倍の観客が訪れるほどの人気でした。
そして、この試合で初盗塁を決めたことで飯島の人気は決定的になり、ロッテの本拠地・東京スタジアムの集客は前年比の倍になるほどでした。
しかし、足の速さだけで簡単に盗塁ができるものではなく、他球団の徹底したマークに遭ったこともあり、1969年から1971年の3年間で117回代走起用され、通算盗塁成功23、盗塁死17、牽制死5、得点は46という成績に終わりました。
ただ一方で、塁上に飯島がいることで相手バッテリーにプレッシャーがかかるためか、飯島を塁に置いた時の通算チーム打率は.424、出塁率.494(151打数64安打、8本塁打、四死球20)という記録も残っているので、チームに良い影響は与えたといえます。

ちなみに1971年には二軍のヤクルト戦で1度だけ打席に立ち、3球三振を喫しています。また、登録上のポジションは外野手であったが、プロ生活3年間を通じて一度も守備につくことはありませんでした。

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