名将の思いが引き継がれている。

浦和学院野球部は1978年に学校開校と同時に創部。今では創部当初は埼玉の弱小校に過ぎず、勝っても1回勝つのが精一杯のチームでした。
しかし1984年春野球部強化すべく白羽の矢が立ち、監督就任したのが、野本喜一郎氏でした。野本は当時、上尾高校の監督を22年務め同校を甲子園へ6回導き、県下の強豪校の監督として埼玉球界では知らぬ者はいない名監督で、その後野本の下に有望選手が多く集まってきました。
しかし野本が監督就任して3年目の1986年夏、しかし、野本は病に倒れてしまい、志半ば夏の大会前に監督を辞任。それでも監督の思いを胸に、2年生スラッガー鈴木健(元西武~ヤクルト)と2年生エース谷口英功(現上武大監督)を擁した浦学は、その年の夏、悲願の甲子園初出場を果たしました。そして野本は甲子園開会式の当日、甲子園で初めてプレーをする選手達の姿を見ることなく64歳の生涯を閉じました。

野本の魂を引き継いだ浦学ナインは、甲子園へ行くと躍動し初出場ながらベスト4という輝かしい成績を残しました。

ここから今日まで埼玉高校野球界のトップを走る浦学時代が到来するのです。

関東最強軍団・浦学

浦学は甲子園初出場を果たしてから僅か30年で、これまでに甲子園出場回数は22回(夏12回、春10回)で春夏ともに県内最多を誇る常連校に成長しました。

県内での無敵さはさる事ながら、関東でも無類の強さを誇っています。

特に圧巻だったのが、秋季関東大会において2010年〜2012年かけて史上初の3連覇を成し遂げました。横浜や東海大相模といった関東の強豪校を差し置いて圧倒的な強さを関東で誇っているのが浦学です。

しかしこれほどの全国屈指の力を持ちながらも、甲子園に行くとなかなか上位進出とまではいかず、2012年まで過去最高成績は、初出場した86年夏と91年春のベスト4が最高で、ベスト8の壁を越えられずにいました。更に上位進出どころか、2005年春、2006年夏、2007年夏、2008年夏、2011年春の甲子園ではいずれも初戦敗退。甲子園5連続初戦敗退という不名誉な記録を残し、なかなか甲子園で勝てない時期が続き、高校野球ファンからは「浦学は全国で勝てない」「内弁慶の浦学」とも揶揄される程でした。

遂に悲願の全国制覇!

そんな甲子園で結果が残せない苦しい状況が続いてましたが、2013年の春に、2年生エース左腕・小島和哉(現早大)と、3試合連続の本塁打を放った4番高田涼太(現立大)を擁し、悲願の全国制覇を成し遂げました。埼玉県勢の優勝は1968年の大宮工以来、45年ぶり2度目の快挙とでした。

あとは、浦学のみならず埼玉県の初の悲願となる夏の選手権大会優勝を目指し、全国から選りすぐりの選手たちが集まり、日々厳しい練習に励んでいます。

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