名前は似てるけど、全然違う歴史的事件!

出張で京都の伏見に来ると、ついついよってしまう「寺田屋」。訪れるようになってから間違うことはありませんが、以前はよく「池田屋」と勘違いしていました。それぞれ歴史的大事件の舞台となりましたが、、、あれ?どっちが新選組で、どっちが龍馬暗殺の?、、、という感じの方も多いと思います。今回は「池田屋事件」と「寺田屋事件」をご紹介。

池田屋事件

「池田屋事件」は新選組の映画やドラマなのでも作品の中で必ず登場するのでご存知の方も多いでしょう。近藤勇は書面で「洛陽動乱」と名づけていますが、「池田屋事件」「池田屋事変」「池田屋騒動」とも呼ばれています。

幕末、1864年7月8日(元治元年6月5日)に、京都三条木屋町(現:三条小橋)の旅館「池田屋」に潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を、京都守護職配下の治安維持組織の「新選組」が襲撃した事件で、御所焼き討ちの計画を未然に防ぐ事に成功したということで「新選組」の名は天下に知らしめた事件でもあります。


御所焼き討ちの計画を未然に防ぐ事に成功した新選組の名は、この事件の後、天下に轟くことになりました。逆に尊攘派は、後の明治新政府によって「殉難七士」と呼ばれる7名(吉田稔麿・北添佶摩・宮部鼎蔵・大高又次郎・石川潤次郎・杉山松助・松田重助)の逸材が戦死したため、大打撃を受けることになりました。
長州藩はこの事件をきっかけに激高した強硬派に引きずられる形で挙兵・上洛して、1864年7月19日(元治元年8月20日)に禁門の変を引き起こしました。

池田屋事件で逸材たちが落命したことにより「明治維新が1年遅れた」都も言われていますが、その逆に尊攘派を刺激してしまったために「明治維新を早めた」とも言われています。作家の司馬遼太郎氏は「この事件がなかったら薩長土肥主力の明治維新は永遠にこなかったであろう」と解釈しているほど、この事件は後世に大きな影響を与えた事件です。

寺田屋事件

よく「寺田屋事件」が坂本龍馬暗殺事件と思われがちですが、坂本龍馬暗殺は「近江屋事件」でです。

「寺田屋事件」とは、幕末に京都の伏見にある旅館 寺田屋で発生した事件のことで、2つあります。1つは、文久2年(1862年)に発生した薩摩藩尊皇派等の「鎮撫事件」。もう1つは、慶応2年(1866年)に発生した伏見奉行による「坂本龍馬襲撃事件」。

この暗殺事件と勘違いされがちな「坂本龍馬襲撃事件」は、龍馬を伏見奉行の林肥後守忠交の捕り方が捕縛ないしは暗殺しようとした事件。

龍馬や長州の三吉らが幕府伏見奉行の捕り方百数十人に囲まれましたが、いち早く気づいた龍馬の奥さんであるお龍が危機を知らせました。捕り方に踏み込まれた龍馬らは防戦し、捕り方を数名殺傷するも自らも手の親指(左右)を負傷。辛くも脱出して龍馬は材木屋に隠れました。三吉は伏見薩摩藩邸に駆け込んで救援を求たことで、薩摩藩邸に救出された龍馬らは九死に一生を得ることが出来たのです。

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