高津臣吾

高津臣吾
1993年のドラフトで亜細亜大学を経てヤクルトスワローズに1位で入団。
アンダースローから投げられるシンカーを武器に抑えとして活躍。メジャーリーグでも実績を残し、日本球界歴代2位となる286セーブと、史上2人目となる日米通算300セーブをマークした、ヤクルトスワローズのレジェンドです。プロ生活19年間で日本、メジャー、韓国、台湾を渡り歩き、各国で活躍しました。
タイトルも最優秀救援投手を4回獲得するなど、球界を代表する抑え投手でした。
現在はヤクルトスワローズの2軍監督を務めています。

桑田真澄

桑田真澄
1985年のドラフトでPL学園を経てジャイアンツにドラフト1位で入団。
高校時代はPL学園のエースとして、同期の清原和博氏とともに「KKコンビ」と呼ばれ、高校野球激戦区の大阪で甲子園に出場可能な5回に全て甲子園に出場し、そのうち4回決勝に進み、2回優勝も果たしています。
ジャイアンツ入団後、エース投手として活躍しましたが、1995年の阪神タイガース戦でジャンピングキャッチを試みた際に靭帯断裂の大怪我を負ってしまいました。手術と過酷なリハビリを経て、1997年に復帰しました。
プロ野球21年間で読売ジャイアンツと、メジャーリーグのパイレーツに在籍し、ジャイアンツ時代に最優秀選手1回、沢村賞1回、最優秀防御率2回、最多奪三振1回、最高勝率1回などのタイトルを獲得しました。通算勝利数は173勝。あの怪我がなければ間違いなく200勝はしていたかと思います。

佐藤義則

佐藤義則
1976年のドラフトで日本大学を経て阪急ブレーブス(現オリックスバファローズ)に入団。
入団1年目に7勝をし、新人王を獲得すると、1985年には先発として21勝し、最多勝のタイトルを獲得。昭和最後の20勝投手となりました。
プロ生活21年間で165勝し、最多勝1回、最優秀防御率1回、最多奪三振2回のタイトルを獲得するとともに、1995年にはノーヒットノーランも達成しました。
コーチとしてもメジャーリーグで活躍しているダルビッシュ選手、田中将大選手を育て上げ、故星野仙一氏からは「日本一の投手コーチ」と絶賛されていました。投手コーチとして、阪神タイガース、日本ハムファイターズ、楽天ゴールデンイーグス、ソフトバンクホークスの4球団で優勝を経験。優勝請負人とも言われています。

関連するまとめ

大谷翔平選手も着用。ひじの負担を可視化させる秘密兵器『 パルス 』 

黒いバンドの中に入っているのが秘密兵器の「パルス」。

懐かしのプロ野球球場の今

かつて多くのスター選手がプレーした昭和のプロ野球の本拠地は今、どうなっているのでしょうか?

カープびいき vol.61 阪神タイガース3連戦

カープファンによるカープびいきの試合結果報告です。